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とんな子になってほしいか②

 
あまりにも親の正解、理想や価値観を押し付けられて育った場合
子供がそれを跳ね除ける強い気質を持っていれば良いけれど
多くを受け入れやすい気質の場合
親の押し付けを受け入れる(強制、支配されるを含む)ことで本来の自分との間に矛盾が生まれ
大人になってから言い知れぬ違和感や
漠然とした不安の中に生きることになりかねない

親の理想の枠に入るか否かでジャッジされた子供は
他者にとっての正解である自分を追い続け
その正解になれない場合
「自分はダメだ」
と自信が持てなくなるだろう

その状態でどれだけ能力が高く育っても
健全な心とは言えないのではないだろうか

反対に
子供が「自分は自分の正解を探して大丈夫」と思うようになるには
親が自分の「こうあるべき」「これが当たり前」というフィルターを通さずに
目の前の我が子を観察し、そのままの姿をそれで良しと認めることが大切だろう

人を好きになった時に沸いてくる
「この人のことをもっと知りたい」
という欲求のように
(人を好きになったことが無い人に対する例は浮かびません)

この子は一体何が好きで何が苦手で何に興味があるのだろうなどなど 

ワクワクした関心を持って観察することで
自分との違いを「不正解」ではなく
ただの違いとして認識し
新たな発見があれば驚いたり、面白がったり、喜んだりすることができるのではないだろうか

そうやって観察して知ったことをヒントに
どういう関わり方をするのが双方にとって快適で、理想に近づくより良い方法は何だろうかと模索し、実践し、改善する

この繰り返しで親も子も比較的楽に、健全に、成長できるのではないかと思う

他者を変えることはできない
というのは大人も子供も同じであるし

それは
血の繋がった親子でも
血の繋がらない親子でも

人対人である以上
同じ

我が子といえども
経験の違いはあるにしろ
同じ人間と人間
というスタンスで関わることができたら

自分が生きるのが楽になり
育児が少しばかり楽になり
生きるのが楽な人間が育ちやすくなり
世の平和に繋がるのではないだろうか

ではどうすれば
同じ人間と人間
というスタンスで関われるのか

考えてみたい

「どんな子になってほしいか①」

https://ameblo.jp/mizukikaifurukawa/entry-12683555004.html

写真は
雨の中自転車で走ってみたい!と言い
実際走ってみて
「楽しい!」
と言っていた次女

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https://lit.link/kaimizuki


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