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「縛るものと豊かさ-responsibirity(責任)-」


赤羽駅がまだ昔の赤羽らしく場末感漂っていた高校生の頃
駅の外のトイレで数万円が入ったお財布を発見した
私はちょっと考え
そのまま交番に届けた

道徳観や倫理観からの使命感や正義感か?
いや、そんなものは大して感じていなかった
そんなの感じる以前に当たり前のことだったから?
いや、そこまで徹底した教育環境ではなかった

ではなぜ?と考えてみたら

そこにあったのは

「何万円も入っているお財布をそのまま交番に届けたら、その後どうなるのだろう?どんな気分だろう?」
という
初めてのことに対する自分の行動がもたらす結果への好奇心

悪い事をするワクワク、人助けをする満足感
などよりも
やったことないことへのワクワクとそれをやる充実感を取った

お金 < 好奇心を満たすこと

だったのだろう

結果、選択した行動は品行方正であるが
動機は自分の好奇心を追求しただけ

そんな風だったのは

全く裕福ではないが生活苦ではない生活をさせてくれ
人としての在り方を厳しすぎない程度に教えてくれた両親のおかげである

金銭的に選択の余地ない生活ならば
即お金を抜き取り怖くて走って逃げたかもしれない
厳しい道徳感に縛り付けられていたならば
思考の自由なく足は勝手に即交番へと向かっていただろう

良くも悪くも
私は縛られるものがなく自由でいられたのだろう

物事に対して
反応する(response)
能力(abirity)
つまり
責任(respoosabirity)を培う自由を与えられていたのだと思う

村上春樹の1Q84が思い浮かんだ

あれは宗教が出てくる話だが

目に見えないものもまた

自分を豊かにもするし縛りつけもするのだと思う

そこにある豊かさを見つめれば
幸福を感じた心は自由になり

縛られまとわりつく鬱陶しさに目を瞑れば
心は不自由になる

自分を縛るものを見つめ
そこにある豊かさを知ることが
心の自由に繋がるのかもしれない

目を瞑り続けることも
目を開き見つめることも

自分で選択できる

私は12歳で片目の自由を失った時
もう片方の目を
精一杯見開いて
豊かさを探す道を選んだ

そうさせてくれた家族に
感謝している

5年前の写真を見返したら
なんだかピチピチ
丸いのか?茶髪か?

ちなみに
お財布の主からは
後日電話と商品券が送られてきた

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