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小川洋子『博士の愛した数式』を読んで

読もうと思っていながら、なかなか読むことのなかったこの本をやっと読み終えた。小川洋子の本は数冊読んでいるが、この本に近づき難かったのは、僕自身、数学が苦手なところが大きかった。
しかし、数学嫌いでも十分に楽しく読める内容であり、食べず嫌いはやはり人生を損にすると実感した。

この物語は時間とともに、淡々と流れていく。
このような単調なストーリーを、読者に飽きさせることなく、数々の細かい物語を混ぜ合わせて、長編小説として作り上げてしまう筆力には驚かされる。

人は大人になればなるほど、未来が減り、過去が増えていく。多くの年寄は過去を糧に生きている。だから年寄が昔話をよくする。
そう思うと、博士の記憶が80分しか保てないという病は、博士を絶望させるのには十分すぎるものだった。
特に数式を研究することを生涯の仕事として選んだ博士にとって、日々の勉強の成果が頭から消えてしまうことは、メモでカバーしているとはいえ、非常に辛いことだっただろう。博士が朝起きて、一番目立つ場所にある「僕の記憶は80分しかもたない」というメモを見て嗚咽する姿は、あまりにも痛々しく切ない気分になる。

そんな生活の中で、家政婦とその息子ルート(博士がつけたアダ名)の二人との出会いは、博士に生きる希望を与えたのだろう。(ただし、その出会い自体を80分後には忘れてしまうのが悲しいが)

素晴らしい数式はよく美しいと言われる。代表的なものに、アインシュタインが特殊相対性理論から導いた「E=mc²」がある。数学者は文学者とは違う世界でロマンチックな物語を探求しているのだろう。

しかし、文学者が畑の違う、文学とは本来相容れない、感情もないはずの数式を土台に、心暖まる物語を紡ぐことに挑戦し、何の違和感もないストーリーを生み出すことに成功しているのには驚かされる。

中学生時代に超難関校の高校受験の過去問題に賢明に取り組み、それが解けたときの感動は、あの頃の私の何よりの宝物になっている。数学の世界にもストーリーがあり、それは数学者に独占されたものでは決してなかった。
たぶん著者にもそんな経験があったからこそ、この物語を書こうと思ったに違いない。

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