見出し画像

無差別殺人者の手記(ショート・ショート)

無差別殺人が起きると、マスコミは競って加害者の生い立ちや生活環境を調べ、どうして無差別殺人を行なってしまったのかを追求しようとする。そして、マスコミは一貫して加害者を自分たちとは違う異常な人間にしたがる。

よく「こんなのは人間のできることではない」という声を聞くが、「人間のできることではない」行為をできるのは人間しかいないという事実がわかっていない。
そんなやつらに無差別殺人を行う者の気持ちを理解するのは不可能だ。

無差別殺人を考えるとき、加害者も私たちと同じ人間なんだということを理解することが第一で、それができないかぎり、マスコミの意見は犬の遠吠えに過ぎない。

日本の無差別殺人者の動機のほとんどは、世の中から見放されているという孤独感から始まる。自分を生きる価値のない人間だと思ってしまう。

自尊心を持てない孤独な人間は、人生を生きるに値しないと思っている。それが限度を越えたとき、死を決意する。そのような人間には二つのタイプがいる。
自死を選ぶ者と無差別殺人を起こして死刑になることを選ぶ者だ。

自分自身のせいで孤独になったと考えた者は自死を選ぶ。人のせいで孤独になったと考えた者は、世の中に対する復讐の意味で、あるいは自分がこの世に存在しており、こんな大きなこともできるという歪んだ自尊心で、無差別殺人を行う。

アメリカの無差別銃撃殺人を見てみると、そのほとんどが最終的に自死を選ぶ。しかし、日本の無差別殺人者は自死を選ばず、死刑になることを望む。結局は自死する勇気がないのだ。

「どうせ死刑になりたいのなら、人など殺さないで自死すればいい」という声をよく聞くが、それは間違っている。
自死する勇気がないからこそ、または自分を孤独にした世の中に復讐するからこそ、無差別殺人を行うのだから、自死してしまったら、最後に残されたわずかなプライドまでズタズタになる。

また、「無差別殺人者は自分より弱い者ばかり狙うので卑怯だ」という声もよく聞く。これも間違いだ。
自分のプライドを守りたいからこそ、無差別殺人を犯すのだから、もし自分より強い相手を襲い、逆に押さえつけられてしまったら、最後のプライドまで粉々に砕けてしまう。だから、100%勝てる相手を選ばなければならないという必然性から、弱い者をターゲットに選ぶのだ。

もちろん無差別殺人は許されるものではない。しかし、「人間のできることではない」行為をできるのは人間しかいないという事実さえしっかり理解していれば、どんな人間でも無差別殺人者になる可能性はあることがわかるだろう。

私は親から虐待を受け、学生時代もいじめにあってきた。社会人になる勇気もなく、自宅に引きこもった。もちろん自尊心など持てず、それはすべて世の中のせいだと思っている。そのうえ自死する勇気がない。無差別殺人者になる素質は充分にあるのだ。
だから私は無差別殺人を実行することにした。場所は老人の多い巣鴨を選んだ。

私の計画では、まず両親を殺し、そのまま巣鴨駅に向かう。そこで無抵抗で逃げ回る老人たちを襲う。
7月15日決行する。

この手記は事件当日にポストに入れる予定でいる。
何人殺すことができるかわからないが、今までの無差別殺人者たちだけは上回りたいと思っている。

それでは7月15日を楽しみに待っていてくれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?