僕が幽霊だった一日 第2章

僕がユカリに初めて会ったのは、大学生になって最初の夏休みだった。
社会勉強のために見つけたバイト先のドラッグストアで、僕は初めてユカリを見た。

正直に言うと、社会勉強というのは3番目の理由で、バイトを始めた本当の理由は、異性との出会いを求めたのだ。ちなみに理由の2番目は小遣い稼ぎ。異性と出会えば、当然お金も必要になる。

中学、高校時代は受験勉強に明け暮れて、女性と付き合っているヒマなどまったくなかった。と自分に言い聞かせ、モテない自分をなぐさめていたのだ。愛媛県でも有名な高校(男子校)に入り、予備校にも通ったおかげで、東京都内の某超有名大学に合格した。あこがれの東京でのあこがれの一人暮らし。浮かれるのも仕方ないだろう。
大学にも女性はたくさんいたし、ナンパなサークルからもたくさん勧誘されたが、田舎者の悲しさで、なかなか都会に溶け込めなかった。
それならば、大学以外の場所で彼女を見つけなければと、アパートの近くにあったドラッグストアでバイトを始めた。

そして、バイトの初日に僕はユカリと出会った。ユカリは明るい性格で、人見知りだった僕に何の遠慮もなく笑顔で話しかけてくれた。僕はユカリに一目で恋に落ちた。

それからというもの、大学の講義などお構いなく、僕はドラッグストアで働いた。毎日、ユカリの顔を見るだけで幸せになれた。たまに大学へ行っても教授が何を言っているのか理解しようともせず、いつも頭の中でユカリの笑顔を思い出していた。早くユカリに会いたい。早くユカリの笑顔が見たい。毎日の生活のすべてがユカリで占められていた。ユカリはどんなタイプの男性が好きなんだろう? ユカリには今彼氏はいるのか? ユカリの趣味は何だろうか? そういえば、ユカリの年齢さえ知らなかった。とにかくユカリのすべてが知りたかった。それなのに、人見知りの僕はユカリに話しかけることさえできずにいた。ユカリから話しかけられても、顔を赤くしてうつむくだけだった。そんな僕をユカリは、
「ヨシ君ってかわいいね」
とからかった。

あっ、そう僕の名前は善行。だからユカリは、会って2日目から僕のことをヨシ君って呼んでいる。

ユカリについても説明しておこう。
ユカリはショートヘアーがよく似合う、とってもチャーミングな女の子。身長は僕よりやや低い160センチで、肌はすごく白くて、すごく痩せている。だけど、その痩せ方は病的というわけではなく、ついているところにはちゃんと筋肉がついている。胸も華奢な体にしては大きい。目は大きくて、口も大きい。その間にちょこんとかわいい鼻がついている。愛媛には絶対にいないような都会風のオシャレな娘だった。仕事もテキパキとこなして、モタつく僕をフォローしてくれた。

早く声をかけなくちゃ。食事に誘おうか? 映画がいいか? 毎日そんなことを考えているんだけど、ユカリを目の前にすると、僕は何も言えなくなってしまう。

そんなある日、仕事終わりにユカリが、
「今度、一緒に映画でもいかない?」
と僕に言った。
「はい、わかりました」
僕はびっくりして、思わず敬語を使った。ユカリはプッと吹き出して、僕の頭を軽く叩いた。
「仕事じゃないんだから、先輩後輩は関係ないよ。ヨシ君は彼女いたことないでしょ?」
「は、はい」
僕は正直に答えた。
「そうなんだ。やっぱりね。それなら、私がヨシ君の初めての彼女になってあげる」
僕は驚いて、ユカリの顔を見つめた。ユカリと視線が合ってしまい、慌てて目をそらした。
「やだー。顔が真っ赤だよ」
ユカリが楽しそうに言った。
「じゃあ、映画選んでおいてね。今週の日曜日がいいかな」
そう言うと、ユカリはいつもの笑顔をさらに一段かわいくしたような笑顔を見せた。
「じゃあ、また明日」
ユカリは手を振って、駅への道を颯爽と歩いていった。

夢じゃないのか? これは本当に現実なのか? 信じていいのか? それともただからかわれただけなのか? なにしろ生まれて初めての体験だったから、僕にその判断などできるわけがなかった。

とにかく映画を探そう。
僕はアクション映画が大好きだけど、さすがに初めてのデートでアクション映画はないだろう。それくらいなら僕でもわかる。やはり、ラブロマンスがいいだろう。ちょうど今話題の「愛は永遠に」を選んで、前売り券をネットで購入した。「愛は永遠に」はガンになった女主人公とそれを支える恋人との愛の物語で、余命宣告された女主人公に二十歳の男性がプロポーズし、結婚式の日取りも決まるが、その前日に亡くなってしまうという、悲しくも感動的な、しかしありふれた内容の映画だった。それでも、ハズレになることだけはないであろう映画だった。ユカリが満足してくれるか心配で、その夜はなかなか寝つけなかった。

次の日、さっそくユカリに映画のチケットを買ったことを伝えた。 「わあ、ありがとう。それ、私も観たかった映画なんだ」
ユカリの喜ぶ様子を見て、僕は心の中でガッツポーズした。

映画は思っていた以上に感動的で、僕は涙が止まらなかった。ユカリはそんな僕にハンカチをそっと手渡してくれた。 「ヨシ君が隣で大泣きしてたから、私はちっとも泣けなかったよ」
映画が終わって席を立つ前に、ユカリに言われた。 「ごめん」
と恐縮する僕に、
「でも、ヨシ君ってすごく優しいんだね」
と微笑みながら、ユカリは言った。

「食事はどこへ行くの?」
と聞かれて、僕は動転した。
僕は映画のことで頭がいっぱいで、その後の食事のことなどまったく考えていなかった。
「どこか予約してないの?」
「は、はい」
「そっか。初めてのデートだから仕方ないかもね」
ユカリはうんうんとうなずいた。
「レッスン1、デートは最初から最後まで男性がリードすべし」
「は、はい」
「まあ、女性の中には自分で行きたい店とか観たい映画とか言ってくれる人もいるけどね。じゃあ、居酒屋でもいいから、とにかくお店を探そう」

僕たちは客引きしている男の案内で、個室のある居酒屋へ入った。
「ヨシ君はビールでいいかな?」
ユカリが聞いた。僕はお酒をあまり飲んだことがなかった。というか、僕はまだ未成年なのだ。
「は、はい、ビールでお願いします」
ここでビールくらい飲まなければ、またユカリに笑われると思った。ユカリはブザーで店員を呼び、生ビールをふたつ注文した。
「ビールが来る前に食べる物を決めておいてね」
ユカリがメニューを開いてくれた。鉄板餃子が目に飛び込んできた。
「これ」
僕は鉄板餃子を指差した。
「レッスン2。ヨシ君、これからキスするかもしれないときに、ニンニクの入った料理なんて頼んじゃダメだから」
ユカリに言われて、ドキッとした。初めてのデートでキスすることなど考えてもいなかったから。
「ご、ごめんなさい」
僕は顔を真っ赤にして謝った。
「ううん、謝らなくてもいいのよ。なんだかヨシ君といると、心が洗われた気分になるよ」
ユカリが笑った。
「今日はヨシ君にとって初めてのデートだから、ヨシ君の好きな物を食べていいよ」
でも、僕は鉄板餃子の過ちを取り返すには、何を注文すれば正解なのかわからなかった。

「私が適当に頼むね。食べられないものがあったら言ってね」
店員がビールを持ってくると、ユカリは焼き鳥盛り合わせと、シーザーサラダ、サイコロステーキを注文した。
「それじゃあ、ヨシ君との初めてのデートを祝して乾杯しましょう」
「かんぱい」
ビールは苦かったが、これ以上カッコ悪いところは見せられない。僕はジョッキの半分を一気に喉に流し込んだ。
「わー、ヨシ君ってお酒強いんだね」
ユカリにそう言われて、僕は残りのビールも飲み干した。空きっ腹だったせいか、緊張しすぎたせいか、僕のまわりの世界は回り始めていた。

「次は何飲む?」
「グレープフルーツサワーをお願いします」
「ふふ、ヨシ君らしいね」
食べ物だけでなく、飲み物の選択も間違えてしまったのか。
「やっぱり赤ワインにします」
「ヨシ君、ワインが好きなの? 私と一緒だね」

赤ワインが来て、今日二度目の乾杯をした。頼んだ食べ物はすでにテーブルに出そろっていた。僕は申し訳なさそうに、鉄板餃子に箸をつけた。何を言われようが、鉄板餃子は熱さが命だ。

「映画面白かったね」
「なんだかありふれたストーリーだったけどね」
「でもヨシ君、大泣きしてたじゃん」
「うん。恥ずかしいけど、ありふれた話って意外と感動するもんだなって思った。きっと脳ミソからは、こういう悲しい話を聞いたら涙を流しなさいっていう命令が出るんじゃないかな」
「なーんだ。ヨシ君って意外と理論派なんだね? ヨシ君ってかわいいと思ってたのに、なんか損したみたい」
「あ、いや、その・・・」
「で、ヨシ君は愛は永遠だと思う?」
「永遠は無理だよね。だって、最後は二人とも死んじゃうんだから」
「レッスン3。女性と話すときは、あまり理屈っぽいことは言わないこと。女性はロマンチックが好きなんだから」

それからは、ユカリが質問して、それに僕が答える形で会話が進んだ。小さい頃はどんな子供だったのか? 初恋の人は誰か? なんで今の大学に入ったのか? 大学では何の勉強をしているのか? 好きなタイプの女性は? 僕はそのすべてに素直に答えた。おとなしくて勉強ばかりしていた。小学校3年生のときのクラスメイト佐藤カオルちゃん。いい会社に就職して生活を安定させるため。明るくて自分にないものを持っている人。なんだか自分のハダカを見られているようで恥ずかしかった。その一方で、僕は僕のすべてをユカリに知ってもらいたかった。

「ここで、レッスン4。もし、ヨシ君が私のことを好きならば、私のことをもっと聞いてもいいんじゃない? 私はヨシ君が好きだから、ヨシ君のことが知りたくて、いっぱい質問しているの。ヨシ君も私のこと知りたいのなら、どんどん聞いてもいいんだよ。もちろん答えられないこともあるけど」
「あ、ユカリさんは何歳ですか?」
「やだー、そこから? 私は22歳だよ。ヨシ君は19歳だから、私のほうが3つ年上ね。年上の女はキライ?」
「いいえ、とんでもない。年齢は気にしません」
「そんなに丁寧語で話さなくていいのよ。普通のともだち恋人どうしみたいに話してよ」
「あ、はい。いや、うん。じゃあ、次の質問をします。趣味は何ですか?」
「あはは、まるでお見合いみたい。まだ固っ苦しい感じかするよ」
ユカリが笑った。
「趣味はね、音楽鑑賞と美味しいものを食べることかな」
「どんな音楽を聴くんですか?」
「私ね、実は昭和の歌謡曲が好きなの。演歌は聴かないけど。ポップスだとか、ニューミュージックとか、フォークソングとか」
「そうなんですか? 僕は中島みゆきをよく聴きます」
「私も中島みゆきは大好き。趣味が合うね。今度うちに音楽聴きにこない?」
「え、いいんですか?」
「うーん、まだちょっと早いかな。でも、これからもデートして、二人ともいい感じになったらオッケーだよ」
「本当ですか?」
「でも、そのときは餃子はなしにしてね」
「連絡先の交換してもらえますか?」
「もちろん、いいよ」
僕らは携帯電話の番号とラインを登録しあった。
「ここは私が出すね」
「いいえ、僕が出します」
「ヨシ君はまだバイトを始めて日も浅いし、映画のお金はヨシ君が出してくれたんだから。ここは私におごらせて。次からはヨシ君のご馳走になるよ」
「わかりました。ごちそうさまです」
「最後にレッスン5。好きな人に敬語で話されると、なんか悲しい気持ちになるよ。二人の間に壁があるみたいで。これからは私に敬語は使わないこと」
                   <続く>

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