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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『祝祭的な力技』

「死後結婚」という儀式があるらしい。「若くして亡くなった男の子のために、あの世で嫁をとらせて、一人前の男として幸せになってほしい・・・という思いから始まったようだ。」実際には絵馬に若い新郎新婦が華やかな婚礼衣装を着て嬉しそうに微笑んでいる絵を描き、裏には絵師が自ら写経した般若心経を貼って奉納した後、お寺で結婚式を執り行う。」男が主体の行事であった。

著者はそれをテレビで見て、女性というのは嫁いだときに、「かつて女は、一度、娘としての『死』を経験したんじゃないか」と発想を広げる。女性にとって結婚とは別の世界へ移っていくことであり、「死後結婚」も「あの世へ嫁いでいくのは女の方だ。」

著者の兄は独身のまま死んだ。著者は果たして兄が「死後結婚」を望んだだろうかと考える。両親はたぶん兄に「死後結婚」をさせたがるだろうと思う。それは「親の自己満足」であり、「親はたぶん、自分のエゴの強要には気がつけない」ものだ。「親心はしょせん親の心、子供を思っていても、それは親なりの思い方だ。」人間関係の中でも一番ややこしくなるのは親子関係だ。子供の不幸の大半は親との確執にあると言ってもいい。

考えた末に、著者は兄に「死後結婚」をさせてあげたいと思う。オカルト趣味のない著者がそう思った理由は、テレビに出ていた絵師に何かが違うと感じさせたものがあったから。著者はそこに霊性を感じたと言う。絵というものを通して、何か呪縛を解き放っているような、そんな力技を感じてしまったのだ。

それは日本の祭りのひとつとも言える。生きている人たちが死者への思いを舞踏や祈りという形にして現していく。祭りには霊性を具えた人が必ずいる。そもそも人はみな、昔は霊性を持っていたのかもしれない。

意識や霊の問題は、科学技術ではまだ解明できていない。今まで疑っていた霊の存在というものを信じざるを得ない時代がやってくるように思われる。

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