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特別でありたいという願いの話。

I did everything right. I wanted it more than anyone. And I thought if I wanted it enough, I could show everybody That Mike Wazowski is something special. And I’m just not.
僕は全部ちゃんとやったんだ。誰よりも強く望んだ。強く望め(一生懸命頑張れ)ばみんなに、マイク・ワゾウスキは特別なんだって証明できると思ったんだ。でも僕は特別なんかじゃないんだ。”

仕事が休みだったので、録画したままになっていた「モンスターズ・ユニバーシティ」を観た(ありがとうWOWOW)。何年か前に1度観たきりで、随分ご無沙汰の鑑賞。穏やかなストーリーを記憶していたので、休みの日のお昼にはぴったりだと思った。

ところが、前観たときよりも大人になったわたしは、主人公マイクの姿にいたく感じ入ってしまった。

夢を叶えるために努力を惜しまず、そしてその努力は報われるのだと信じてやまない姿。どんなに体格のギャップがあっても、自分だって一流になれると諦めない信念。

ちょっと”痛い”キャラになってしまうほど、努力に基づいた自信を培っていているけど、結局は「子どもたちにまったく怖がられない」という事実を目の当たりにし、冒頭のセリフを吐く。

自分は特別だと信じていたし、強く望めば、自分は特別だと証明できると信じていた。逆に言えば、彼の尽きることのない努力の数々も、全ては「特別でありたい」という”願い”からくるものだったのだと思う。

この一言がやけに印象に残る人も、特に大人は、多いんじゃないかと思う。

ある一定の歳まで人は、「自分は特別なんだ」「なにか特別に秀でるものがあるはず」と信じている。そして、ある時自分は特別なんかではなく、ただの平凡な人だと思い知る。多くは、マイクと同じ大学時代〜20代後半なんじゃないかな。

そんな苦い思い出が、わたし自身にも当てはまるから、最終的にマイクがコーチの立場でその才能を発揮できるようになるという結末には心底救われた。だって、そのポジションでは彼の努力が無駄にならない。わたしの努力も、生かせる場所があるかもなんて思える。(そんなわたしはまだきっと若いのだ)

なんの気無しに観た映画に、ここまでほろ苦さが描かれているなんて。さすがPIXAR。


終わり。



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