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フィルム写真に失恋の傷をえぐられた

こんばんは、みーたんです。
最近、写真集を出すため奮闘しているアラサーフォトグラファーです。

今回のnoteは、私が撮ったある写真とそれに関する失恋ストーリー、そしてその経験から学んだことについて。


私は村上春樹の『回転木馬のデッド・ヒート』という本が好きで、その本はいわゆる「小説」というものとは少し違う。

村上春樹自身が友人や知人から聞いた話や、体験したことをまとめている短編集で、読んでいて「これ写真でやってみたら面白いかも」と思った。写真についてのエピソードをまとめてみるのだ。

私が撮った写真にはどんなストーリーが隠れているのか。ストーリーを知った上で写真を見たら何か見方は変わるのか。もし気づいたことがあれば、感想などいただけると嬉しいです。

それでは、私のある夏の失恋ストーリーを写真と共にお届けします。



フィルム写真に魅せられてもう8年ほど。

撮ってもすぐに確認できない、数ヶ月後にまた思い出に浸れる、そんなタイムカプセルのような世界観が好きで、ずっとフィルム写真を撮ってきた。

夏に撮った写真を秋に見返す、フィルムではまだ夏。

そうやって遅れてくる季節を楽しんだり、感光してきれいに写っていないことが、反対にその瞬間がもう二度と戻らない儚いものだということを教えてくれたり。そんな風に私なりにフィルム写真を楽しんで撮ってきた。

でも一度だけ、私にとって癒しとも言える存在だった大好きなフィルム写真を、撮ることさえ嫌いになりそうになったことがある。


京都、伊根の舟屋


あれは2年前のこと。いつも通りフィルムを現像に出し、いつ写真が届くか、今回はどんな写真になっているだろうかと楽しみにしていた私。数週間後、届いたデータをのぞいてみると、その中に数ヶ月前に別れた恋人と京都の伊根町を訪れた時の写真があったのだ。


今までの人生で、私は何回も失恋してきた。毎回マンガにできるんちゃうかくらいクセの強い人たちとのクセの強い別れ話は、友達とのあいだでネタになっていて、いつも一緒に、男運ないな〜と笑い飛ばしてくれた。

でもこの時、2年前のこの失恋は、仕事のストレスもあってか本当に病みすぎて、どのくらいかというと、Spotify(音楽配信サービス)の自分が聴いた年間トップ100曲の上位5曲が全部失恋ソングを記録するくらいに引きずっていた。(もちろん5位以下もほぼ失恋ソング)

だから現像から返ってきたデータの中にその写真を見つけた時、この遅れて思い出がやってくるフィルム写真の醍醐味とも言えるシステムを恨んだ。せっかく気持ちが落ち着いてきたのに、なんで今になって見せるねん!空気読めやぁ!!って感じで。スマホだったら即削除できてたのになぁ。

でもすぐに消せるような写真だったら、今日こうして振り返ってみることもなかった。

それに何より、今となっては笑い話。こうやってnoteに淡々と紹介できるくらいだ。

この経験で学んだことは、今は不安に思えることも、時間が経てば笑えるし大したことなかったよなと思える日が来る、ということ。

失恋なんかは特にそう。「時間が解決してくれる」と嫌ほど聞いたかもしれないし、じゃあその一定の時間が経つまではどうしたらええねんって思うかもしれないけれど、いつかそんな葛藤も笑い話になるし、そんな自分を愛おしく思える日は、必ず来る。

それを乗り越えたあなたは、少しだけ誰かに優しくなれるのではないだろうか。

当時、仕事と失恋で病みすぎて5キロ痩せ、パニック発作を起こし精神科に通って休職までした私が今、こうして笑い話にして前を向いて進んでいるのだから、それは間違いないと思う。


そしてこの写真を消すかどうか、ネガを捨てるかどうかは、まだ決めていない。


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