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社会

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2020年3月の記事一覧

アップグレードを求められる時代 (コロナの裏で)

これから全てが分断していく。全てがバラバラになっていく。これまで繋がりのあったもの、その全てがこれまでの繋がりを失っていく。 しっかりと手や足を結んでおかないと、外部の力によって私たちは引き離される事になる。 なにもかもバラバラ。 こんな事は言いたくはないけれど、でもこれは本当の話。 何もかもがバラバラになる。そして壊れていく。それもものすごいスピードで。 今世界が壊れ始めた。次に壊れるのは、この世界を作っている国。そしてその次に壊れるのは、この国を作っている社会。

(コロナの裏で行われている)嘘かもしれない本当の話

コロナで今世界中が大変な事になっているけれど、その裏で私たちが知らない事が着々と進行していると考えた事はないだろうか? 私たちは日々、この管理社会の中で生きている。何もかもその全てが管理され、何処へ行っても、見られているし、何を発してもそれを見られている。どこで何をし、そしてどんな人と行動を共にし、何を発し、そして、何処にいるのか?その全てをこの国はというか、世界は見ている。 今こうして世界中がパニックになっている訳だけれど、こういう時ほど、人間というのは、真の自分が出る

西洋かぶれの似非(エセ)日本人

日本人は真面目で素直。だから、国の言う事をよく聞く。何かがあれば、日日本人は、我を先行させずに、その要請に従う。これは日本人の持つとても素晴らしい特性だ!なんていわれているけれど、そういったこれまで固定化されてきた日本人のイメージも、このコロナの発生によって崩れようとしている。 上品で慎み深い。これが海外の人たちが日本人に対して持っているイメージ。でも、このイメージも今崩壊しつつある。 私たち日本人は、自国のものを大切に守る事よりも、西洋から入ってきたものを大切にした。日

世界平和を謳うデストロイヤー

もっと色々な事を考えろ!とそう言われても私たちには考える事が出来ない。何故か?それはいつも何も考えていないから。頭を使っている様で、実際には、その頭を何も使っていないから。 私たちは何も考えていない。ただ目の前にある事に反応しているだけで、それに対して何かしている訳ではない。 起こった事に対してただ反応しているだけで、それに対して主体的な行動がとれている訳ではない。ただそこに起こった事に対して、私たちはあーだのこうだのと言って反応しているだけ。 自分の意思を持ってそれに

時代は繰り返す

ノアの箱舟という話がある。この話が今まさに繰り返されようとしている。 何もかも一掃されようとしている。これからくる危機に今きちっと備えておかなければ、大洪水が起きた時、私たちは一気に流される。その時、必死になって助けを求めても、もうその時は遅い。 こんな事はずっと言われていることだけれど、皆何も備えをしようとしない。私たちは何かが起こらなければ行動しない。何かが実際に自分の身に降りかかってこないと何もしようとしない。 今起こっている事について、私たちは何も考えようとしな

ポジティブが作る脆弱な人間性

明るくて、楽しいものしか見ない。聞かない。ポジティブなものしか見ない。聞かない。そういう人が多いが、それで本当にいいのだろうか? ネガティブなものを見ると、確かに気分は落ち込む。国内をはじめ、世界各国で目を伏せたくなるような、耳を塞ぎたくなる様なそんなニュースが連日放送される。 こういうニュースを見てしまうと、テンションが下がってしまう。気持ちが暗くなってしまって、その日一日の生産性が落ちてしまう。だから、そういったニュースは絶対に見ないで、ひたすら、自分の気分を上げてく

目に見えないものを称えよ

ガラスの球を高い所から落とすと、その球は地面に落ちてバラバラに砕け散る。その近くにいれば、バラバラに砕けたガラスの破片が、落ちた時の衝撃で自分の所に飛んでくることもある。 今、この世界とは、まさにこの状態。 1つにまとまっていたものが、何かの衝撃で壊れ、バラバラに砕けてあちこちに飛び散った。落ちた時の激しい衝撃で、その周りにあるものも影響を被り、皆壊れる。 コロナウィルスによって、今国が、そして社会が壊れ始めた。 私たち一人一人の人間というのは、皆それぞれ社会というも

バーチャルに逃げるな、現実に還れ

ニュースとか見ると、テンション下がるから見ない。最近いいニュースがないから見ない。今ニュースを見ていると、ただただ気分が下がる。だから、なるべく嫌なニュースには触れない様にしているという人が最近多い。 自分のテンションが下がるとか、気分が悪くなるとか、ネガティブなニュースは自分に言い影響を与えないとか、皆そう言う事を言って自分に都合のいいものだけを見ているけれど、本当にそれでいいのだろうか? いくら自分のテンションが上がろうが、気分が悪くなろうが、その日一日やる気がなくな

LOCKDOWN (何もかも縮小されて行く社会の中で)

これから私たちは、色々な意味で追い込まれ、そして色々なものを自身に負担しなくてはいけなくなる。私たちがこれから背負うものは、今まで以上にたくさんのものになる。 私は不安をあおる為にこうした事を書いているのではなく、知って欲しいから書いている。バカバカしいと思うなら、読むのをやめてください。 今私たちの生活がコロナというものによって少しずつ浸食され始めました。これにより、私たちの心の中には、何らかの不安というものが生まれ始めました。私たちの心の中に不安というものがあり、その

日々加工修正を求められる私たちの人間性

あなたのこういう所が良くないから、直せ!ああいう所がよくないから直せ!!と私たちは日々自分を訂正させられる。 あなたのその在り方が間違いだ!!だから、それは直さなくてはいけないとそう社会はいう。でも、本当に自分のこの在り方がいけないんだろうか? これがいけない、あれがいけないと言って、何でもかんでも直せ!直せ!とそういうけれど、そういう人たちというのは、ただ単に自分に言う事を聞くお人形さんが欲しいだけなのでは?と思ってしまう。 これが自分なのに、何故、その自分を直さなけ

いじめによってもたらされる強烈なエクスタシー体験

私たちは、いつも何かを壊したいし、破壊したいという強い衝動をその胸に抱えている。何かを徹底的に破壊したい。そして壊したいという強い欲求の様なものを私たちは、この胸に抱えている。 形在るものを、バラバラに壊してしまいたい。そう言った思いは誰の中にもある感情なのではないかと私は思う。 私たち人間というのは、生まれた時から、皆サディストなのではないかと考える。人を殺さないまでも、誰かを批判したり、非難したりして、そこから何らかの快感を得ている。そこに何らかの心地よさみたいなもの

忙しさが生む大量のセルフネグレクト

誰も自分がどうなろうが、何の関心もない。そこの道端で死んでいようが、それを抱き起そうともしない。かもすれば、そこに倒れて死んでいる人の上を固い靴底で踏みつけて歩くだろう。 自分なんてここにいたって、誰の目にも見えてはいない。ここに存在はしている。でも、実際には私は此処に存在なんてしてない。 人というのは、誰かに自分の存在を認めてもらって始めて自分がここに存在しているという事を理解出来る。だれも、自分を認知してくれなければ、いつまでたっても自分は実体を持たない幽霊のようなも

セルフネグレクト 私をやめる私たち

この何もかもその全てにおいて恵まれすぎている日本に住んでいる平和ボケした私たちは、自分のその身に何かが降りかかると、いとも簡単にその自分というものをもういいやと言って放棄してしまう。 何もかもが面倒くさい。何もやる気がしない。もうどうなったっていい。そう言って、簡単に自分というものを生きる事を放棄する。 今現代に生きる私たちは、あまりこの自分というものに特別な感情を持ってはいない。自分が今此処にこうしてあるという事にあまりというか、特にそれほど強い感情みたいなものは持って

人間としての誇りと尊厳をその胸に

自分たちが見ようとしないで目を背けてきたその全てが今、私たちの眼前につきつけられている。 私たちはこれまで向き合おうとしてこなかったその全てとこれから向き合わなくてはいけなくなる。 これまでなんだかんだで逃げてきたその全てから、もはやこれからは逃げられない。何をどういった所で、何をどうした所で、私たちはその全てを全部自分の責任としてその眼前にたたきつけられる。 誰も責める事は出来ない。何もかも全て自分の責任で行わなければいけない。 これまでは、これといって何かを深くま