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なぜ、教員の働き方改革は進まないのか!?

いきなり本題です。

なぜ、その必要性が声高に叫ばれているにもかかわらず、「教員の働き方改革」が上手くいかないのか!?

あくまでも個人的見解ですが、、、

「改革≒何かをすること」

だと勘違いしているからだと思っています。

逆に、「何かをやめること」こそが働き方改革に直結すると強く信じています。

わかりやすい例は「教員免許状更新講習」に関連するアレコレでしょう。

長期休業中の貴重な時間を使って、しかも自費で、大学等での講義を受講しなければ教員免許が失効してしまうというオソロシイ制度がやっと廃止されました。

教員免許状更新講習の廃止は、小中学校を中心とした講師確保の問題が一番大きな理由でしょうが、結果的に教員の働き方改革にも直結するし、これからの教員志望者にとってもありがたい決断だったと思います。

しかし、それだけで終われば良いものを、文科省はそれに代わる新しい研修とやらを課してきやがりました。これが間違いです。

せっかく、珍しく引き算をしてくれたと思ったら、即座にお得意の足し算をしてくるのです。
廃止して、それで終われば良かったのです。

少し話は逸れますが、、、

そもそも「研修」は、教員が自ら必要性を感じて、自主的に行うものだと思っています。決して他者に強制されるものではなく、自分から知的好奇心と向上心を原動力にして学びを深めるものだと信じています。
この教員の世界における「研修」についても、言いたいことがたくさんあるので、別の機会に必ず触れたいと思っています。

学校内部でも同じです。

近頃流行りの

「定時退勤日 / ノー残業デーを設けます」

も、だから何?って感じです。

何かをやって、改革をした気になっています。

「勤務時間前から始まる登校指導を廃止します」
「少なくとも土日どちらかの部活動は厳禁にしましょう」
「形骸化している教員の日直制度を一度やめてみましょう」

のように、何かを無くすことや減らすこと、これまでの当たり前をいったんやめてみること、こういったもの以外は働き方改革とは言えないでしょう。

…と私は思っています。

もう若手と言える年齢でも無くなりました。慣れたというか、怖いものがなくなったというか、

「あれはやめてみましょう」
「それはやらなくていいんじゃないんですか?」
「それやるなら、代わりに何かやめませんか?」

と会議で発言するようになりました。黙殺されることが多いですけどね←

一部の「自主的・自発的に仕事増やしやがる系教員」からは、「アイツは自分がサボりたいだけだ、やりたくないだけだ」とか「教員としての資質に欠ける」といった趣旨の反論が聞こえてこないこともないです。

でも、若手教員を中心にこんな私の言動を支持してくれてる感(「いいぞ、もっと言え」的な雰囲気)もなんとなく伝わるので、これからもおかしいと思ったことには普通におかしいって言っていこうと思います。

そういえばふと思い出した。
初任の頃、会議中には何も発言しないくせに、会議が終わったあとにオトモダチと給湯室で愚痴や文句を言う教員にはなりたくないなあって思っていたんですよね、、、(遠い目)


【結論】
①働き方改革とは「何かをやめること」

②何かをやめることは重要だけど、その分「新しい何か」を始めてしまったら全く意味がないので注意

③若手教員のまともな感覚に未来へのかすかな希望が持てる


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