思考しながら歩む人間が絶対に必要とする4つの要素とバランス

経済学者や思想家として活動されていた西部邁さんは、
著書『知性の構造』の中で真理へと向かう心構えについて書いている。

真理というと分かりづらいかもしれませんがようは前に進んでいくために、
信じるに足ると思える何かを見出す際の考え方です。

西部さんはある真理を探求する際に人間には4つの要素、
信仰と懐疑、合理と感情があると考えた。

信仰、つまりは無条件でそれが正しい、真理だと断じる思考停止状態、
それが極まると狂信となり真理から遠ざかる。

逆に懐疑、すべてのものを無条件で疑い真理などないと考える、
それは世界に価値あるものは何という虚無となりやはり真理は遠ざかる。

同じく合理、全てのものは何かしら絶対の規則によって動く、
そういう考えが極まれば打算となり規則に反するものを阻害する、
未知や揺らぎを許容できず真理は遠ざかっていく。

逆に感情、自らの心に従い未知や許容に対処することも、
それが極まればただの衝動となり理は失われ真理は遠ざかる。

信仰と懐疑、合理と感情、相反する2つの組み合わせからなる4つの要素、
そこから生まれる狂信、虚無、打算、衝動の4つの極致は、
どれもより良い前に進んでいくうえでの障害になると考えた。

故にその間にあるバランスの取れた地点に自らを置くことが、
真理を探求するうえで重要だとお話されていたのですね。

で、これは真理のような難しいものを探求するためでなく、
単純に知識や情報に触れそれを元に思考するうえで、
全てに共通する基礎的なあり方であるように思う。

未知の知識や情報に触れる時どうしてもそこには4つの要素が必要。

わからないから前提を信じるか疑うかという2つの要素がある。

わからないものを理解するために労力を割くべきか否か、
有限の人生が故に打算的になるかあるいは有限だからこそ、
自らの感情のおもむくままに何も考えず突き進んでいくか。

そういったことを考えなければならない。

だけど無条件で全てを信じていればそれは狂信となり、
間違っていても、間違っているということすらわからずに、
時には破滅的な道を歩んでしまうこともあるでしょう。

とは言え全てを疑うなら先に話したようにこの世界に価値はなく、
全てが虚ろで探求する意味のない虚無的な思考に囚われる。

打算だけで考えていては未知のものに触れること自体が無駄になる、
自分が知っている範囲だけで良いとなり認識は広がらない。

だけど衝動的にあらゆるものに手を伸ばせば全てが中途半端になり、
何も得られないまま時間や労力を無駄にする可能性が高まる。

信仰、懐疑、合理、感情、人間が生きていくうえで全て必要となる要素、
逆に言えば全てがそろったバランスの良い状態であらなければ、
思考、引いては精神は破綻し現実に悪影響を及ぼすのだと思う。

ですから、このことは誰であれ意識しておくのが大事。

自分が今、どういう姿勢で知識や情報に触れているか、思考しているか。

どこかの要素に寄りすぎてバランスを崩してないかどうか、
一歩一歩確かめながら歩んでいく。

それは大変で時に面倒だと感じることもあるかもしれませんが、
きちんとできている時に得られるものは多いでしょう。

少なくともどんな影響を受けても揺らがない自分の軸を形作り、
しっかりと人生を歩んでいくことはできるようになると思います。

同じように思ってもらえたのであれば意識してみてほしいと思います。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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