精神的なエネルギーを人生に活用するための基本姿勢

この記事は以下の記事の続きのようなものです。

読んでみてもらえるとより深く理解し役立てられるようになると思うので、
興味や時間があれば一読してみてほしいと思います。

ここでは関連する内容をざっくりまとめますが、
まず前提としてあらゆるエネルギーは動きであり、
故に何かが動く限りエネルギーは無限である。

ただ、それぞれが持つ器、人間であれば体という器は、
全てのエネルギーを自らを動かす活力として活用できない。

例えば食べ物なら栄養になるものもあれば毒になるものもある、
適切なエネルギーを接種すれば益になりますが、
活用できないエネルギーを接種すれば最悪害となるわけですね。

そして、ここからが本題になりますが人間は活動するうえで、
身体的な器の状態とそれを支えるエネルギーも大事ですが、
それ以上に精神的な器とそれを動かすエネルギーが重要になる。

極端な話、生きたいという意志がなければ人は生きられない、
時に自殺という形で自らで自らを終わらせることもある。

生きるために動かず停滞した精神が死を招き寄せることがあるように、
精神の状態は活動するために切っても切れない要素となります。

で、人間は意識と無意識という2つの思考傾向を持つために、
精神が極まった状態に至ると意識と無意識、
2つの精神(思考傾向)をうまく活用できる。

異なる世界観とでも呼ぶものを個人の中で生み出し時に衝突させることで、
体が外から食物を得なければならないのと違い個人のままその内で、
活動に必要な精神的なエネルギーを生み出すことが可能。

つまり人間は精神的エネルギーに限って言えば永久機関として、
理論上は成立しうるものだと考えます。

とは言え繰り返しですがそれは極まった精神状態が可能とするもので、
大抵の場合はやはり外からエネルギーを接種する必要がある。

ここから重要になりますが精神もまた体と同じように、
毒にもなれば薬にもなるエネルギーの性質が存在する。

しかし、体と違うのは精神的エネルギーはそもそも抽象的、
脳が生む想像上のものであるためこれも理論上ですが、
あらゆる精神的エネルギーはより良い動きを生み出す動力源になりやすい。

例えばですがマゾヒズムってありますよね。

本来、生物にとって肉体的、人間であれば精神的な苦痛は、
避けるべきものであり受ければ基本負荷を生む。

ですがマゾヒズム性質を持つ場合、前向きと言いますか、
都合よく解釈することで苦痛を楽として受け入れて、
自分にとってより良い動きへと変換することができる。

筋トレなどもそうですが適切な負荷を与えることは変化成長に不可欠、
苦境こそ人を進歩させる源だと言って自ら苦しい状況に飛び込む、
これも1つのマゾヒズム傾向ですが実際これは効果があります。

苦を避けることばかり考える場合と苦境を楽しめる精神性なら、
後者のほうがより強固な人間になれる場合が多いでしょう。

それを可能としてるのは接種した精神的エネルギーの捉え方、
つまり視点であり苦痛を楽とする視点で眺め可能としてるわけです。

肉体的、精神的苦痛を避けるというのは生物の本能に根ざすものであり、
あらゆるエネルギーの中でも受け入れがたいものであるはずなのですが、
人間の場合それを受け入れる何らかの視点を持つことが可能である。

であれば、もっと軽い何となく受け入れがたいなどのエネルギーであれば、
その捉え方次第で良いものとして接種し前向きな動きに変換できる。

これまで毒にも薬にもならない、あるいは害になっていたようなものが、
益あるものとして活用できるようになります。

つまり視点、捉え方次第で精神的なエネルギーであれば、
活用できる総量を大きく増やすことができるわけですね。

もちろん、これは逆もありうる。

本来、益あるものとして活用されることが多いはずのものが、
その捉え方次第で害になり活用できるエネルギーが激減するわけです。

と、いろいろお話してきましたがつまり精神的なエネルギーに限り、
人間が活用できる総量はその捉え方によるということです。

そしてそれは珍しいことでも特別なことでもない、
そもそも人間の発展は一見活用できなさそうなものを、
活用できるものとして再解釈してきたという要因が大きい。

例えばエジソンは白熱電球を商用化し世界から夜を消したと言われますが、
その発展のキーとなったのが日本の竹だったというのは有名な話。

その当時、竹という植物が電気をより効率的に光に変えるため、
重要な役割を果たすなど誰が意識的に想像できたでしょうか?

エジソン本人にしても研究室にあった扇子の竹を利用してみたら、
良い結果が得られた、偶然性からの発見だったと言われている。

とは言え偶然だったとしても竹を電球に活用するという発想、
使い道の再解釈を起こしより良い何かを得たのは確かです。

他にも歴史に残るような有名な逸話は探せばいくらでもあるでしょうし、
残らない些細な出来事もいくらでもあるでしょう。

再解釈による新しい視点の開きは人間の進歩という動きの源泉の1つ、
捉え方を変えるということが物質的にも精神的にも前に進ませてきた。

ですが現代のような物質的に比較的簡単に満たされるような社会が生まれ、
試行錯誤して再解釈し新しい視点を開こうとする動きが小さくなった。

考えなくても普通に便利に物質的には生きていけるという環境が、
精神的な動きを鈍らせ劣化させてきたように思われるのです。

その結果、今あるものや得られる精神的なエネルギーを、
いかに活用するかということを考えることなく。

精神的な苦痛、負荷から解放されるために安易な思想や、
わかりやすい答えに見えるものにその時々で飛びつき、
それ以外を否定し使えるエネルギーの選択肢を狭めてきた。

それが様々な精神的エネルギーを害あるものに変換し、
逆に精神的な苦痛を生み動きを鈍らせるという結果を生む。

なので、精神的エネルギーはその捉え方次第で、
薬にも毒にもなるということをまず自覚する。

そのうえで、視点を能動的に操るという姿勢を持つことが、
意志をより良く動かす大きな助けになるのではないかと思う。

冒頭でお話したように精神は人間が歩むうえで切っても切り離せない、
どれだけ物質的に満たされようが精神が安定しない限り、
現状はいくらでも悪くなることがあり得る。

このことは意識しておくのが大事だと思うのです。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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