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誰かの言葉を借りるのは、楽なようで苦しい


誰かの言葉を拝借して、自分の言葉にしちゃうのってすごく楽だなぁと思う。

10年以上前に働いていたCDショップで、商品のPOPを何十枚も手書きしていたことがある。

けれど、有名なミュージシャンほどインタビュー記事や音楽評論家が書いたレビューが既に表に出ていて、「自らのロックを総括!」とか「壮大な生命の煌めきを描いた〇〇」とか、「残酷な現実の姿をもメッセージとして鳴らした〇〇が〜」とか、恨めしいほど素敵な言葉で表現してあるものだから、パクりたい衝動にかられていた。(というか、言葉を組み合わせて無理やり文章を作ってた記憶が・・・猛省)

でも、誰かの言葉を当てはめたところで、違和感しかない。絶対にそのアーティストのCDは聴いて書こう!って決めていたから、本当は自分の中に表現したい「言葉」があるはずなのに、全然出てこなかった。というか、自分で考えるひと手間を惜しんで、誰かが苦労して編み出した表現を必死で探していた気がする。結局、借り物の言葉を当てはめても、かっこよくなるどころか、そこだけ変に浮いてしまうのに。

そこから数年経って、自分の言葉で書くことを意識した時期があったのだけれど、そのときの文章は、8年経った今も記憶に残っているし、ああ、こういう記事が書きたいのかもって、文章が下手でもそう思う。

これは今もつくづく思うのだけれど、誰かの言葉を拝借するのはその時はすごく「楽」です。だって、考えなくて済むから。でも、つくり甲斐がないというか、自分の中にある「お気に入りリスト」には絶対入らない。

だから、自分の言葉を探すひと手間って大事なんだなあと、最近改めて思います。

#言葉 #ライター #文章を書く #編集者 


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