#21 私を支え、カタチづくった存在
思い出の詰まった手紙類を整理していたら、18年前に三人目を出産した際に頂いたたくさんのお祝いのカードが出てきた。
イギリスという国で18歳になり成人を迎えた息子に、いかに多くの人たちが彼の誕生を祝福してくれたのかを知ってもらいたく、それらすべての処分を彼に託した。
この息子の出産は私にとって、初めてのイギリスでの出産だった。
上の子どもたちは、いざとなればオムツも替えてくれるくらいの年齢になっていたので、育児そのものの苦労はそれほどなかった。
ただ、日本の産院で母子ともに本当に優しくされ、母体への慈しみも半端なかった『しあわせの時』を経験しているので、
イギリスでの産前、出産、産後のケアには、大いにショックを受けた。
軽く冗談で使う、あのトラウマではない。医療訴訟も頭をよぎったほどのトラウマ。その後、体の不具合はなんとか時が解決したが、心に傷は残った。
あの時、声を上げればよかったのか、と
時々、ぐずぐずとした私のなかの『残念』の渦が暴れだし、あそこで自分の権利を主張しなかった自分を責めたい時がある。
日本風に言えば、私は『事を荒立てなかった』のだ。
痛みや屈辱を受けたのは私だから、私が夫に『戦いたい』と言えば、夫は一緒に戦ってくれただろうし、あの時に、私が『もう忘れる』と言ったから、二人で前を向いたのだ。
医療訴訟というのは、信じられないほどのエネルギーを要すると誰かが言った。もっとも、痛みもエネルギーも要しない裁判があるとも思えないが‥‥
私は、息子が健康で生まれてくれたことだけで、世界を手に入れていた。社会の不条理を正したい志など、生命を育むという尊い使命の前ではあえなく色褪せるのだ。
「裁判で戦えば怒りを抱えなきゃならない。そんな憎しみの中でこの子を育てていくのは嫌だ」
自分で夫にそう言ったことを憶えている。
イギリスの友人たちがくれたカードに混じって、日本の母からの絵手紙があった。
と母が詠んだ短歌に、どんな顔だろうかと想像しながら描いたであろう赤ん坊の絵。
こんな便りを私はいくつ母から送ってもらったことだろう‥‥
社会の役にたっているとも思えない私という人間が、「ここにいてもいいのかな‥‥」と疑わしくなった時、
絶対に絶対に忘れてはならない人がそこに居る。きっと「生きてくれさえすればいい」と私たちはお互いのことを想っている‥‥
この母がまさに命がけで産んでくれたから繋げられた命の連鎖を想う。
いつか私が生まれた時のことを書きたいと思う。正確に言えば自分の誕生の時は憶えていない。だが、自分の魂がこの世に生まれ出る時の感情が、時を超えて襲ってくるという不思議な感覚を経験した話を‥‥
追記:書きました!
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