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#19 目玉焼きと焼きたらこの愛

今日、実家の母に電話をかけた。

インターネットでビデオコールができる時代になっても、なお高齢の両親には『これしかない』固定電話への国際電話。 我が家はインターネットのプロバイダーが提供する国際電話が一時間まで無料というパッケージに加入しているので、ストレスはない。

これは、一時間で会話が終わらなければ、59分で一度切って、かけ直せばまた一時間無料で話すことができるというものだ。

もっとも、一時間経たないうちに母が「トイレに行きたい」と言って終わりになることもよくある。

今日の電話は、最初にかけた時に、ずっとコールしているのに出なかったので、夜の八時にどうしたのか?と、ちょっと気になった。

それが、二度目で受話器を取った母に確認したら、「今トイレ行ってた」とのことだったでホッとする。

となれば、今日は途中でトイレに走る必要はない(はずだった)。


なんでも、今日母は、コロナ下の自粛生活のなかでは久々に、バスに乗って、総合病院に受診してきたらしい。病院の都合で、診察は終わっても投薬までに長い時間待つことになったらしい。そして帰宅して疲れが出て、そのまま眠っていたということだった。

おそらく、ちょうど起きだして、トイレからの戻り際に鳴った電話を受けたのだろう。


母と十分ほど話しただろうか、父が側に来て何か言っている様子だった。

「お~、ミズカか。ちょっと代わろう」ということで、父が受話器を取る。

父がまるで自分が行ってきたみたいに、「今日は病院通いに一日かかったさかい、くったくたに疲れて、今までずーっと寝とったんじゃ」と言う。

そして夕飯も食べずに寝ていた母が、夜の八時にやっと起きてきたので、母のために夕飯を準備したということ。それを知らせに母を呼ぼうと声を掛けたらしかった。


「うわぁ~、かったい~ (優しい) 💗」私は驚きと同時に、父を褒めたたえたい気持ちで三回ほど叫んだと思う。

何を作ったのかと尋ねると、ちょっと照れたように、「たいしたもんじゃないわい。目玉焼き焼いたんと、たらこの焼いたん、後はばあばが作ってあったキャベツの炒めたんや」


こんな父の姿を一度でも見たことがあっただろうか・・・・

自分が食べたいなら、あるいは子どもたちや孫たちのためになら、大鍋に特製のカレーや、おでんを仕込むことはあった。何しろ父の食へのこだわりは大変なものだったのだ。
だが、いつも父の使った台所を片づけるのは母だった。

若い頃から腎臓が弱かった父は、健康な方の腎臓を癌で失い、弱かった方の残った腎臓と付き合う人生を送っている。

健康食品が大好きで、「いつ死んでもいい」と言いながら、薬の管理、食事におけるグラム単位の塩分管理を続けている。
やっぱり生きていたいのだ・・・

「今年満で八十五になったぞ~」と自分で感嘆している父を、

『かわいい』などと感じる自分も歳をとったものだ(呆)


父は、もう母にご飯を食べさせたいから、最後にもう一度話しなさいと言う。

私はほんとは母に聞いてもらいたいことがあったのだが、今日はもういい、と思えた。


もう一度電話に出た母に、いかに父が愛情深いかを冷やかしたら、

「とうちゃんがご飯作って食べさせてくれるなんて三十年に一回のことや」と笑う。

今年、結婚六十年のダイヤモンド婚を迎えた両親。三十年に一回ということは、人生三度目?にして最後かぁ・・・・などと心のなかでツッコんでみる。


三人の子どもたちが独立するまでは・・・と、我慢を重ねた母に、

何度「もう別れてもいいよ」と言ったことだろう。


それでも、「もう夫婦の愛より、人間愛だから」と笑って、舅姑も見送った母。

父は同じ人とは思えないほど丸くなり、体も半分の大きさになった。
昔暴言を吐いた父が、今は母の小言にものんびり笑っている。
こんなこといったい誰が想像できただろう・・・・


6,300マイル離れたイギリスから父と母を想う時、諦めでも何でも構わない、ただ一緒に居てくれることがどれだけ心強いことか・・・・と

言い尽くせない感謝で手を合わせている。


目玉焼きと焼きたらこ、美味しかったよね、きっと。

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