エピソード4|雲を掴む

 僕はよく、雲を掴むような話をするらしい。

 小学生の頃、僕は森を削った高原の高い所に住んでいて、少し坂を登って森の入り口の前まで行くとそこから琵琶湖とそれに沈んでいく太陽が見渡せた。小学校の八割が高原の子で、僕たちは全校生徒二〇〇人みんな顔見知りで友達だった。放課後はみんなで高原にある公園に集まってから秘密基地に行ったり、高原中でかくれんぼをしたり、鬼ごっこをしたりした。毎日一年生から僕らの学年まで何十人も集まって遊んでいた。僕らより上の学年はみんな大人しくて、僕らの学年は人数も多く活発だったので、僕らがいた時代が高原の全盛期だった。

 六時にカラスの曲が流れるとみんなそれぞれの家に帰るのだけれど、僕は家の近い親友と坂を登って帰りながら、時々坂の真ん中に座って眼下に沈んでいく夕日を見ていた。高台なので空が近く、雲が掴めそうだった。遊び疲れて汗が滲んだ身体中が風に吹かれて乾いていくとき、僕は全身で自然を感じながら、見渡す限り一面の青空を見て、ああ僕はよろずのものに祝福されていると思った。神様に守られているんだという確かな実感があった。

 そんな環境で育ったからか、僕は夢見がちな少女に育った。悲しい事件やニュースを見る度、僕が世界を変えるんだと密かに誓っていた。地球温暖化をなんとかしなくてはいけないと小学四年生の頃に図鑑を読み漁ったり、社会科で盲導犬の詳しい勉強をして、一人一人模造紙にまとめて発表するものについ肩を入れ過ぎて、長さが教室の端から端までの巻物を作ってしまい、それでも途中で書きたいことがまだあって先生に止められて悔しくて後で泣いた。

 以前書いたかもしれないけれど、一番酷かったのは小学五年生の春の図画工作の授業だ。新しく来たおじさんの担任の先生が、何週間後かの授業参観で教室の後ろに飾りたいから、桜の絵を書いてほしい、と言った。そうして、自習にすると言って教室を出ていった、残ったクラスメイト二十数人が絵の具セットを取り出し、僕も作業を始めた。黙々と全員が白い画用紙にピンクの絵の具をモクモクと塗っているのを見て、僕はちょっと待った、こんなの芸術じゃない、とその場で吐き捨てた。教室のみんなが僕を見て、僕は「ピンクの絵の具塗るだけで桜なんてそんなの桜じゃない、ピンクの絵の具だけで桜の美しさは表現出来ない」というようなことを続けて、ちょうど校庭の桜が満開なんだから、地面に落ちている桜の花びらを拾ってきて画用紙に貼り付ける方が芸術的だと思う、といつものように雲を掴むようなこと言った。

 そうしたら、席替えで同じ班になった男子の友達二人と女子の友達が、俺もそうしたいうちもそうしたいと言って、僕がちょっと取ってくるわ、他に欲しい人いる? と教室を見渡したら半数以上が手を上げて立ち上がった。僕が大量に取ってくるわ、と言ったら、自分たちも手伝うと言って同じ班の全員がついてきた。堂々と教室を抜け出して校舎を抜け出して、校庭に散っていた大量の桜の花びらを拾ってポケットに詰めた。教室に戻るとみんなに花びらを配って回った、要らないと言う子はいなくて、全員で自分の絵に桜の花びらを貼った。チャイムが鳴る五分前に担任が戻ってきて、みんなの出来上がった作品を見て狼狽した。

 担任はキレて怒鳴り出して、僕はなるほどこの先生は怒るとこういう風になるんだなと観察していた。クラスの全員を叱り出したので、僕は手を挙げて「自分がやろうって言ってやりました」と言ったら後ろの席の同じ班のメンバーも手を挙げて「「「手伝いました」」」と言って、他のクラスメイトたちは担任を睨んでいた。次の授業はパソコンの授業だったので、担任は、お前ら全員パソコン室の前の廊下に並べと怒鳴って、教室を出て行った。担任が出て行ったあと教室は笑い声で包まれて、手を挙げた他の三人も笑っていて、僕は「申し訳ないから次の授業自習になるようにねばるわ」と言った、すると「ラッキー!」「パソコン使い放題ー!」という声が四方から溢れ、僕らは笑いながら教室を出た。

 パソコン室前の廊下に四人で並ぶと、担任がきて既に揃っているクラス全員に「話が終わるまで自習!」と言ってクラスメイトたちはガッツポーズをした。担任は廊下に座って、立っている僕ら四人にお説教を始めた。勝手に教室を抜け出したことを叱られて、僕たちは謝った。理由を訊かれて、教室で僕が吐露したことを話すと担任は頓狂な声を出して「面白いな君」と僕に向かって言った。僕たちがやってきた数々のこと(嫌われている音楽のおばあちゃん先生がいて、でも悪い人じゃないからみんなに好きになって貰いたくて、仲良くなりたくてクラスメイト全員で音楽室と音楽準備室に隠れて先生を驚かすかくれんぼをしていること等々)を話して、話を脱線させて職員室や生徒の人間関係などの雑談を始めた。

 すると担任も乗ってきて、知育って知ってる? 知育教育君らにしたいんだけど、知恵の輪とか色々なの沢山持ってきたらみんなするかな? と僕に聞いたので、雨の日の休み時間はすることが無くてみんな困ってたんです、知恵の輪の他にはどんな玩具があるんですか? と言って最終的には中日ドラゴンズの話になっていてひたすら中日ドラゴンズの話を聞いていた。僕たちが時間を稼いでいると担任の後ろの窓からこっちを覗いた子がグッドサインをして「ナイス!」と僕に口パクした。担任が気が付くと三十分が経っていて、もう今から授業は進められないから今日は自習にしますと彼が言って、クラスメイトたちは思う存分僕らが立たされている間も含めて一時間、一人一台のパソコンでゲームをしたり動画を観たりしていた。

 結局僕の失態で桜の花びらが画用紙上で枯れるという事態になり僕は雲を掴み損ねたのだけれど、それから僕と担任は仲良しで校外学習も一緒に回るし、僕の名前の由来になっている某アイドルのあだ名で僕は担任に呼ばれるようになった。

 そうやって、雲を掴むような話をしては、実際に雲を掴んできた。現実に負けて掴めなかったことも沢山ある、相棒と漫画を描いて、授業中も修学旅行のディズニーランドのホテルでも原稿を描いて、中学生で週刊少年ジャンプに漫画を投稿したけれど、進路でバラバラになり結局二人で漫画家にはなれなかった。友達と高校の書道部を僕たち二人で日本一にしよう、有名にしようと誓い合って、それは時間差でつい先日叶ったりもしたけれど、僕と友達では叶えられなかった。自分の立てた夢や目標を叶えられないことは、目標を立てたそのときの自分を裏切ることになる、過去の自分を嘘つきにしてしまう行為だ。実際、僕は小学校の頃の文集に六年間書き続けてきた、漫画家になるという夢を叶えられなかったことに、罪の意識を感じている。

 いつしか当時なら叶えられたかもしれない夢や目標が、雲を掴むような話になってしまった。僕は世界を変えられていないし、地球温暖化は進んでいくし、盲導犬について書いた巻物は引っ越しの時に捨てられたし、僕も捨てられて困らなかった。雲を掴めたのは、ほんの些細な小学生の抵抗ぐらいのレベルのことで、いつしか僕の雲を掴むような話に賛同してくれる大勢の友達は居なくなって、僕は夢見がちな少女から口だけの青女になった。

 そうして又僕は、3ヶ月前、とある人に雲を掴むような話をした。三年間、時折僕を支えてくれていた人とのお別れの場だった。その人が別れ際に、貴女のこれからの目標は、と僕に訊ねた、僕は「芥川賞を取ります」と間髪を容れずに答えた。そうしたらその人は呆気に取られて気の抜けた表情を浮かべてから、そうか、と言った。僕には出来ない土台無理な雲を掴むような話だと思われたのはわかってる、それでも僕は掴みたい。

雲を、掴みたいんだよ。



 僕はよく、雲を掴むような話をするらしい。
 ——それは僕が、雲を掴める人間だからだ。



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