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【恋愛小説】私のために綴る物語(7)

第二章 ミッドウィークとウィークエンドの男(1)

 この週末の土曜日は日帰り温泉に行くことにしていた。
「ここだと、温泉に入って、できればお寺のあたりにある、お蕎麦屋さんに行きたいなぁ」
 多香子はスマホの検索をみながら言った。こういうときには、旅行用のアプリは便利なんだよねと呟いていた。
「手打ちそばか。たまにはいいね」
「有名なお店も多いし、絶対に美味しい」
「多香子は、食べることに本当に執着するね」
「美味しいものを一緒に食べる。これが大切なの」
「はいはいわかりました」
 史之は多香子の勢いに負けそうになっていた。
「はいは一回だよ」
 覗き込むように睨んだ多香子に、思わず苦笑いをしていた。
「史くん、そこは笑うところじゃない」
 そう言われると余計に笑ってしまっていた。

 ふと、昨日見てしまった投稿写真を思い出した。
「そう言えば多香子。最近珍しいところに行ったね」
「えっ。あぁ、あれね。友達がチケット二人分買ったんだけど、つれあいさんの都合が悪くなって、急に誘われちゃった。面白かったよ」
「そう、それは良かった。ああいうのって美味いの」
「どうなんだろう。今回のは美味しかったよ。作者のこだわりもあるって、書いてあったし」
「そう」

  話を持ち出した割に史之はのってこなかった。少し不機嫌にも見えたが、気にするくらいには思えなかった。
 史之には多香子の話が少し信じられなかった。そう背景の服と腕に光っていた時計は多分……。
 そうしているうちに、目的地の温泉に着いた。

「ここだな」

 駐車場に車を停めると、多香子は自分用の温泉キットを持って入口に向かった。史之も自分の分を持ってついていく形になった。カウンターで、料金を払う時、史之はふっとひらめいて担当者に尋ねていた。

「すいません、家族風呂は空いてますか」
「今は満室ですね。1時間後でしたら空いてます」
「1時間後だったらいいです。二人分の料金でお願いします」

 多香子が脇から口を挟んで、料金を払ってしまった。そこにも史之は不満を持っていた。

「どうして家族風呂を諦めた。1時間位待ったっていいだろう」
「お蕎麦屋さんが間に合わないの。5時には閉まってしまうところがほとんどだから」
「ここの食堂のそばだって旨いって」
「せっかくだからちゃんとお店で食べたいの」

 そう言い切られてしまうと、史之はその先の言葉を飲み込んでいた。

「わかった、それじゃ今から一時間後、3時半ぐらいにそこの休憩室で待ち合わせ。で、いいね」

 史之が気分を切り替えて言った。

「わかった。3時半ね」

 多香子も同意して、それぞれの風呂場に向かった。

 女湯は子供連れも多くて、少し騒がしかった。女の子が多くてもこれでは、男の子の多い男湯はうるさいだろうなと思った。
 家族風呂を断った時の史之の不満げな顔を思い出していた。どこかで埋め合わせをしよう。露天風呂に移動すると、青空の下の風呂の開放感はたまらないものだった。
 そうだ、今度は温泉旅館に泊まろう。部屋に露天風呂がついているところにすれば、ずっと史之と二人きりになれる。その先はと、頭の中にひらめいたことが恥ずかしくなってしまった。
 でももう、二人きりでの温泉で頭が一杯で、行きたい温泉が次から次へと浮かんでは消えていた。大分だ、別府や湯布院とその周辺ならあまり高くなくてもそういう部屋があるだろうと思いあたった。

 時計が目に入って、3時を過ぎているのに気がついて慌てた。蕎麦屋の時間を気にしていたのだから、時間厳守しなくては。髪を乾かす時間とメイクとギリギリだ。慌てて支度をすまして、待ち合わせ場所の休憩室につくと、史之はまだきていなかった。冷たいペットボトルのお茶を買って、座っているとしばらくして史之がやってきた。

「待った?」
「ううん。さっき座ったところ。お茶飲む?」
「いい。風呂場で牛乳を飲んできた」
 向かいに座った史之は、座布団を並べて横になっていた。
「あぁ、こうしてると根が生えるかな。4時前に出ればいいだろう」
「大丈夫」

 風呂上がりの史之はつやつやした肌が光っていた。生乾きの髪の毛がすこしペシャッとしていて、素の姿はどこか可愛いと思った。

「史くん、寝ちゃダメだよ」
「うん、わかってる」

多香子はなんとなく周りを見ていた。そうやってぼうっとしていたら、あっという間に時間になった。動こうとしない史之に気がついて、多香子は史之の方に行った。

「史くん、時間だよ」
 普通に声をかけても、寝ているのか動かなかったので、耳元で声をかけてみた。

「史くん、起きて」
 ついでに耳に息を吹きかけていた。

「うわぁ。あぁ多香子ごめん」
 にこっと笑いながら多香子が言った。

「寝ないって言ったよね。目が覚めた?」
「目が覚めた。大丈夫、出よう」
「お蕎麦屋さんだ」

 キラキラと目を輝かす多香子を見て、史之は一つの決心をしていた。

 車を動かして、蕎麦屋が軒を連ねるところについた。

「本当だ。準備中になってる店が多いな」
「大丈夫、この2軒先にまだやっている店があるはず」
 多香子はスマホとにらめっこになりながら答えた。
「あったここだ。曲がるよ」
 駐車場に車を停めると、二人で店に入っていった。

 店は空いていて、窓際の席に座ると品書きを眺めていた。
「すいません、こちらのおすすめはなんですか」
 お茶と箸を置きに来た店員に、多香子が尋ねていた。
「うちは二八そばと十割そばがあるんですよ。お二人なら両方取って食べ比べなんていかがですか」
 多香子は史之の顔を見てうなずいていた。
「その二八そばと十割のもりそばの大盛りと、天麩羅の盛り合わせと、蕎麦掻き揚げをお願いします」
 店員は復唱して「お待ち下さい」というと席を離れていった。
「多香子、大盛り頼んで、蕎麦掻きのおまけ付きとはな」
 史之は難しい顔をしていた。
「だって、珍しいんだもん。なんか興味出ちゃって」
「まぁ、多香子なら、そばだけで済むなんて思っていなかったから」
 そう言うと笑っていた。
「なぁんだ。史くんを怒らせることしたかなって、考えちゃったよ」

 しばらくすると、店員が注文したそばなどを持ってきた。
「こちらが二八そば」と史之の方に置いた。「こちらが十割そばです」と多香子の方に置いていった。
「喉越しは二八のほうが良くて、香りはやっぱり十割だね」
 多香子が言うと、史之も答えていた。
「どっちも美味いから、好みの問題かな」
「やっぱり、専門店に来てよかった」
 胸を張って多香子が言っていた。
「そのとおりでございますね。この蕎麦掻き揚げなんて初めてだし」
 史之は笑いながら言った。
 すべて、食べ終わると史之が会計をすまして、店を出た。

 車で史之の家に向かい、二人で入った。

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瑞野明青
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