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【小説】奔波の先に~井上馨と伊藤博文~#152

26 明治14年の政変(6)

 まず博文は馨と、財政整理で浮かび上がっていた、開拓使の廃止と払い下げについて、進めることにした。
「開拓使は、底なし沼じゃ。北海道は広すぎるし、採算が取れるようにするには、金がかかりすぎるんじゃ。損金切りではないが、ここいらで、打ち切るのも必要なことだと思っちょる」
「だが、黒田にとっては廃止など、考えもしないことだろう。それを、どうやって取り込むか」
「俊輔、わしは、民間にやらせるのがええと思う。払い下げて事業は続けさせるのであれば、落とし所になるの」
「それくらいしかないか」
「これからは、議会の設置、憲法制定の準備、北海道開拓使の事業の払い下げ、これらを調整していくんじゃ」
 馨は黒田を説得するのに、良い方法は何かと考えていた。

 ある日新聞が、格安の契約で五代らが立ち上げた「関西貿易商会」が、北海道開拓使の事業と事務所を引き受けることになったと書き立てた。
 これは内部のものによるリークが原因と、噂されるようになっていた。この問題に反対していたのは誰だったか。五代たちの構想が失敗した場合に誰が利益を得るのか。その「誰か」が誰なのか、政府の中で腹のさぐりあいが起きていた。
 しかし博文は、黒田が議会などに前向きにさせるため、この開拓使の払下げが滞らないように、関係者に話をしていた。しかし、当事者の黒田がこの件には、裏があると言い出す始末だった。
「黒田さん、たしかにそう言いたくなるのはわかるんじゃ。だが身内を疑っても詮無きことじゃろ」
「いや、絶対に肥前のあの人が、仕組んでおる。伊藤さんは弁護するのでごわすか」

 またこの頃、明治14年8月、天皇は東北・北海道巡幸をしていた。随行員として、有栖川宮、大隈重信、松方正義が派遣され、黒田清隆が接遇のため北海道に行っていた。

 新聞や世論は、この開拓使官有物払下げ事件で加熱していた。博文や馨に近い「東京日日新聞」の福地源一郎ですら、反対をぶち上げていた。
 そして、払い下げ批判だけでなく、薩長閥による政権に対する批判にまで及ぶと、博文も考えを変えざるを得なくなっていく。そんな中で博文は馨に大隈重信の意見書について、他に知られないようにして欲しいと、釘を刺す手紙を送っていた。
「あれが、世間に出ると、大隈と民権活動家が結託しかねんと思うんじゃ。聞多くれぐれも頼む」
 この点では、俊輔の意見も、最もだと思った。しかし、と馨は考えた。
「俊輔のこの問題に関する、苛立ちはかなりのもんじゃの。大隈が新聞に情報を流したというのは、本当の事なんじゃろうか」
 馨はできるだけ情報を集め、正確な判断ができるよう務めることにした。

 元老院に足場を移した、旧宮中グループも動き出していた。そして、薩長による参議での政治を批判し、民権運動にも批判的な中正党を組織していく。また、会計検査官の大隈に近い小野梓も、払下げの中止を打ち出し、このような、身内に甘いことが再発しないよう、制度を作ることを求めていた。

 その流れに対抗するように華族制度と元老院改革を博文は打ち出していた。それはこの先の貴族院を見越したものだった。
「いいか、これは公家や大名家に爵位をあげて、というだけじゃないんじゃ」
「華族というくくりで、旧来の華族だけでなく、政府に貢献したものを加えるっちゅうことは、わしらもこの中に入ることができるの」
「そうだ、聞多。これで宮中にも入れるようになるかもしれん。仕事をしない連中の既得権益を壊してやる。岩倉さんはなかなか首を縦に振らないだろうが、三条公はわかってくれる。時間はかかるがこれも重要な改革じゃ。それにしても…」
「それにしてもって、どうしたんじゃ」
「黒田の鬱憤、あれをどうにかせねば、議会の話は進まん」
「とりあえず、開拓使官有物払下げは取りやめな、いかんじゃろ。そうすると、大隈の処遇を、取引に使うのがええかもしれん」
「そうするか、聞多」
「わしはそう思う」

 議会の開設についてや、払下げの中止と、いつの間にか考えていたことと、大きな齟齬が生じていた。やはりこの流れの中心にいる、大隈を排除せねば収まらなくなる。
 博文は腹をくくることを迫られていた。それほどに大隈と福沢の存在は、大きくなりすぎていた。

 そうなってくると帝に上奏できる、大臣に対する取り込みが、次の段階となってきた。とくに岩倉に対して、働きかけが重要になった。
 病の療養で京都で静養していた岩倉には、帰京するように話がいっていた。しかし岩倉は冷静に療養の延期を願い出ていた。暫くして、状況の把握ができると、岩倉は東京に帰ってきた。

 開拓使の問題は、黒田が払下げの中止を、受け入れるだけになっていた。納得させるのに薩摩の面々だけでなく、博文も動いていた。西郷従道は黒田との間の調整に勤しんでいた。そうしてどうにか、やっと黒田は決心したのだった。

 馨は議会開設の時期について、調整のために動いていた。
「俊輔、黒田と話し合いがやっとついた」
「どうなった」
「明治23年じゃ。流石に30年は無いからの。明治21年は変えねばならんが、許容範囲じゃろ」
「わかった。岩倉さんにそれで持っていく」
「これで決まったの」
 馨は満面の笑みを浮かべて、博文に言った。博文も笑顔で答えていた。

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