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【恋愛小説】私のために綴る物語(8)

第二章 ミッドウィークとウィークエンドの男(2)

 史之は冷蔵庫からビールを出して、つまみになるものも少し皿に置いていた。
「多香子、少し飲まないか。話があるんだ」
 多香子も荷物をおいて、テーブルに向かい合った。史之が緊張しているのに気がついた。なにか重大なことをいいたいのかもしれない。
「どうしたの」
「真剣な話なんだ」
「うん、わかった」
「僕たち付き合って結構経つだろう。それで、結婚しないか。君に結婚願望があまりないことも、理解しているつもりだ」

 「結婚」とうとうその言葉がきたのかと、多香子は予想しておくべきだったのにと思った所で、考えがまとまらなくなり混乱していた。結婚というと子供しか頭に浮かばかなかった。

「だったら、結婚して、子供をってと言うのは」
「子供は、考えなくて良い。まずは一緒に暮らそう。それなら……」
「それも、ちょっと。週末ここで一緒というのでは駄目?」
「それじゃ、今と」
「今のままが良いんだけど」

 多香子は頭の中が混乱してきていた。思いもよらず母親の顔が浮かんでいた。一人暮らしを始めるといった時の顔だった。

「お前に、生活がきちんとできるなんて思えない。自分の部屋を見てご覧。片付けだってまともにできない。服だって下着だって、未だに私が洗濯しているし、アイロンだってかけたことないじゃない。外見ばかり良くっても、これじゃぁ100年の恋も冷めるよ」

 あの時から、何も進歩していない。自分の部屋に上げたら多分史之は幻滅するに違いない。この部屋の台所にはきちんと生活の匂いがある。自室は少し散らかっているのを見たけれど、普通に男の人の部屋なんてあんなものだろう。整理整頓好きではない事はわかって微笑ましかった。

「そうか、わかった」
 史之がそう言ってこのことは終わったと安心していた。

 さっき温泉から帰ってきたといっても、寝間着に着替える前に二人でシャワーを浴びた。どうせ脱がすんだけど、と言った史之に合わせて、タオルを巻いてベッドに向かった。遅れて、史之がベッドに上がると、ヘッドボードに寄りかかっていた。

「多香子、ここに座って」
 その声に多香子は史之の前に座った。
「多香子、僕は週末に会えればいい男なのか。だったら、僕を楽しませてくれてもいいだろう」
 そう言って、腰に巻いていたタオルを取っていた。
「やり方を知らないわけではないだろう」

 確かにやり方は知らないわけではない。一度やろうとしたことがあったが、気持ちが悪くなり、それ以上にうまくできなくて、もうやらなくていいと言ってくれた。その後も要求されたことはなかった。

 たぶんこれは、一緒に暮らそうということを拒んだことの、史之の回答だと思った。でも、『週末の男』とはどういう意味なのか、史之の真意がよくわからなかった。
 それでも、口で史之を満足させることはうまくできたら浮気を疑い、うまくできなくても愛情を図ろうとするのだろう。

 意を決して、史之のものを手に優しく握った。口に当て、何回か舐めてみたがそこまでしかできなかった。

「ごめんなさい。これ以上はできません」
「所詮僕はその程度のものか」
 予想通り、なじってきた。
「どうせ、他に男でもいるんだろう。この前のカフェの写真だっておかしいし、君を送った時だってすぐに帰っていくもんな。僕から離れることに寂しさなんて感じていないだろう」

 それは違うと言いたかった。別れる時はいつも寂しかった。寂しいから、見送ることができなかったのに。感じ方が違うのかと先に諦めてしまった。

「他に男がいるなんてひどい。そんなに私が信じられないなら、少し距離を置こう」

 自分は何を言っているんだろう。こんなに好きなのに。抱いて欲しい、史之が欲しいって体は言っているのに。

「そうか、わかった。これからは君とは友人だ。僕は両親の圧力に負けて、見合いをすることになるだろうし、君も自由に付き合えば良い」

 そう言って腰にタオルを巻き直して、ベッドから降りた。

「もう、君をここに上げることもないから、置いてあるものがあれば持ち帰ってくれ。今晩はもう遅いからここに寝れば良い。ただ、朝には出ていってくれ。しばらく、君の顔を見たくないんだ。ただ来週の観戦会には来てくれ、友人なんだから」

 自分の部屋に籠もってしまった。一人ベッドに置き去りにされ、置かれた現実に引き戻された。

 史之の言葉を勝手なことと言うのは簡単だ。しかし今度の観戦会はサークルの会合で、出なければ付き合ったことや別れたことの公表に、繋がりかねなかった。狭い中でのもつれを知られることは、グループの関係にも支障をきたす。常連のコミュニティなんて広いようで狭いことは、他の人の例で痛いほどわかっていた。

 一番の問題は初めての恋がこうして終わろうとしていることに、自分の心が耐えられるかわからないことだった。そして、史之のボディローションの香りがしみているこのベッドで眠れるのか。
 
 不思議と涙は出てこなかった。ただ、この香りの中では、余計に史之が隣にいないことが不思議だった。

 眠れないまま時間が過ぎて、朝が来たようだった。台所から、美味しそうな匂いがすることに気がついた。悲しく辛いことがあってもお腹は減るのだなぁと思った。

 起きて、服を着て、出ようとした時、さっきの匂いの元に気がついた。台所にはラップに包まれたおにぎりが置いてあった。味噌汁の入っている鍋もコンロにあった。おにぎりのそばにはメモが置かれていて、「これを食べて帰ってください」と書いてあった。一つ食べながら、史之は残酷な人だと思った。メモの空いているところに「ごちそうさまでした。さようなら」と書いて部屋を出た。

 ドアの音がして、多香子が出ていったことを知った史之は、そのまま横になっていた。女に振られたのなんて初めてかもしれない、と考えてた。結婚か、親から少しは自由になれるいいきっかけだと思ったのに、したくなった時に相手がいないとは。

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