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【小説】奔波の先に~井上馨と伊藤博文~#148

26 明治14年の政変(2)

 中上川にはつなぎ役だけにしてもらい、馨は福沢と二人きりで話すことにした。
「福沢さん、この様な場を作っていただき、すまんことです」
「いや、こちらも、井上さんとお話できるのはうれしいことです。井上さんは、欧州で勉学をされ、お帰りになったばかりですから。それは中上川君や小泉君から聞いております」
「中上川君や小泉君には世話になった。中上川君には今も、政府の仕事に就いてしっかりやってもらっとる」
「若い優秀な人材を、このように働く場を与えていただき、とても素晴らしいと思っております」
「わしらも、いろいろな刺激をもらっとる。それで、本題だが」
「どのようなことでございましょう」
「わしら、大隈さん、伊藤さんらで、政府の施策や法令を民に知らしめるための新聞を発行できんか考えておるところじゃ。それで福沢さんにご協力をお願いできないかとなっての」
「私は、政府の御用新聞には、興味はございませぬ」
「政府のやることに、賛成をする論評をして欲しい訳では無い。あくまで、事実を知らしめるための新聞じゃ」
「それは言いっ放しの自由民権運動に、政策責任者をもって、現実を教えようということですか」
「教えようというのはおこがましいの。知らしめることで、良き方向を見せられればええと思っとる」
「確かに知識は人を、より広げることができますな」
「わしも、知識や学問を広めていくことは、議会政治にとって基本だと思っとる」
「それは良い話をお聞きしました。どうですか、一度交詢社の集会に、お顔をお出しいただくというのは」
「それは、面白いかもしれんの。福沢さんもどうじゃ。今度、大隈さんのところで、伊藤さんと話し合いを持つことになっちょる。政の現在を見るよい機会と思うがの」
「たしかにそうでございますな。では、ぜひとも。詳しくは井上さんからご招待いただきましょう」
「わしからも、よろしく頼みます」
 福沢と馨は新聞発行に、前向きになっていた。また、馨は東京日日新聞で主筆となっていた、福地源一郎にも政府の公報について相談をしていた。

 政府としても民権運動に危機感を持ち、主導権を持つための策を各参議が意見書を提出するようになっていた。
まずは山縣有朋が出した。黒田、山田と続き馨も提出した。
山縣は、「状況を打破するため、行政、立法・司法の三権を整備するために憲法を制定し、その上で知識人などの代表を集め議事を行う。元老院を正式に議会とし、法令について了承を行う機関ともする」
というものだった。山田も似たような意見書だったが、黒田は違っていた。
 黒田は、議会は時期尚早で、まだその段階ではないと言っていた。憲法についてもじっくり時間をかけようとしていた。
 そして、皆財政問題も論じていた。
 馨は基本的は持論を展開していた。つまり、憲法を始めとする、民法などの制定。その次に議会を開く。議会は民選の議会と、華族・士族によって担われる上議院を民選の議院に対抗するために、元老院を発展させる形で設置する。議事は予算・財政と法制などを行う。などといったものだった。

 その後は宮中グループの佐々木高行や元田永孚が提出した。この宮中組は元老院の憲法草案を採用するように求めていた。
また民権運動家にも動きが出て、国会期成同盟の政党化を議論していた。結局植木枝盛、河野広中、中江兆民らにより、自由党結成盟約が結ばれた。これはのちに自由党となっていく。
 元老院の憲法草案は、主導権を保ちたい伊藤博文が不採用を決めていた。そんな伊藤博文のもとで仕事をしていた井上毅の動きが、活発になっていた。かれは福沢諭吉の動きを危険なものと捉えていた。そして、馨にも近づいていた。その上で、伊藤博文の立憲政体に関する意見書を執筆することになった。

 話を詰めていった馨は、大隈の屋敷に福沢をよんで伊藤と共に新聞の話をすすめようとしていた。
「福沢さん、先だっての新聞の話じゃが」
「やはり、政府の御用新聞となるのは、お受け出来かねます」
「吾輩は、我らのすることを知らしめたいだけである。事実だけならば、御用新聞とは言わぬ、だろうと思われるが」
大隈も、馨とそう違わないことを言っていた。博文も、「福沢さん、表立ってではなくても、いいのです。知恵と経験を役立ててもらえませんか」と言っていた。
「皆が言っておるのは、どうすれば政府の施策を、正確に知らしめることができるか。それが一番のことなんじゃ」
「理解はできます。前向きに考えたいと思います」
「ありがたいことじゃ。何かあれば、中上川でもええし、わしが窓口にもなろう」
「そうしていただけると、助かります」
 どうにか、福沢の前向きな言葉を得ることができて、馨たちは満足していた。

 こうして、明治13年は暮れていった。
オスマン・トルコ帝国が憲法を制定し、近代国家への道を進んでいった。日本も進めていかねばと思うが、トルコは議会運営がうまく行かず、憲法を停止する状態に陥っていた。
 このトルコのようになっては、近代国家としての承認はされないだろう。馨は落ち着いて、制度化することのほうが良いと、考えるようになっていた。

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