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【恋愛小説】私のために綴る物語(47)

第八章 運命と覚悟(5)

 山口旅行最終日、帰りは北九州空港から東京に帰るので、下関によることにした。まずは長府、高杉晋作縁の功山寺に行った。

「すごい山門だね」
「本当だ。ここに三条実美等が移されて、彼らの前で挙兵を宣言したんだ。味方は数十人で、藩政府の反対派を撃つてね」
「まさに運命と覚悟だね」
「そうだね。成功したから良いけどな」
「確か、創設した奇兵隊は最初動いてくれなかったんだよね」
「そう、だから70人くらいと言われている。だけど色々味方してくれる人が増えた。その中に井上馨の友人の吉富という人がいて、処刑寸前の馨を救出している」
「銅像の近くだね」
「全身ズタズタに斬られて、動けないということで処刑が延期されていたんだ。まさにこれも運命」
「僕は何をすべきなんだろうな」

 そう言って馬に乗っている、高杉晋作の銅像を見つめていた。そのまましばらく立ちすくんでいると、おもむろに歩き出した。多香子は晋作よりも、その史之を見つめていた。慌てて着いていくとごめんと聞こえた気がした。

 そこから少し歩いていくと、長府の毛利家の屋敷があり建物と庭園が見学できた。史之は入り口で抹茶のセットを2つ頼むと、庭園を見渡せるところで座っていた。

「考え事をするにはちょうどいいところだな」
「そうだね。落ち着くね」

 考え事ってなんだろう、多香子には、史之が時々見せる孤独な雰囲気が気になっていた。手を繋いだら、昨夜のことを謝ったら、何か変わるかなと思った。ここの屋敷では、手を繋いで見学はできる広さではない。なるべく近くにいるしかないと思った。庭を眺める、ゆったりとした時間を過ごして、屋敷を後にした。

「そういえば高杉晋作の最後の地には、行かなくていいの」
「そっちの方は前行ったことがあるから。今回は余り時間がないし」
「誰と行ったの」
「誰だったかなぁ。忘れた」

 ふと多香子は一緒だったのは文華だと思った。それよりも、私に今度は一緒に行こうと、言ってくれないことに不満を持っていた。まるで思い出の場所に、入られたくないように見えた。史之はこれからは文華と旅をするつもりかと思うと、心が冷えていくのがわかった。

 自分は晴久のことを色々思っているのに、勝手なものだと思った。史之に寂しい思いをさせていることに、こんなところで気がつくとは。

 そろそろ昼時だった。この辺りで海鮮を食べるのなら、下関の港の観光でも有名なところに行こうと話をしていた。

「とりあえず唐戸市場に行って、海鮮丼とかお寿司でも食べよう」
「混んでいないといいね」
「それは無理だろう」

 それでも、なんとか美味しそうな店を見つけて、海鮮丼を頼んだ。
「一度はこれを食べないとね」
「う~ん美味しい。イカとかマグロも。鯛も」
「多香子の笑顔で美味しさも倍増だな」
「お茶のおかわりは」
「もういい。食べ終わったら門司へ行こう。車で橋を渡るのも新鮮だろう。トンネルの方だと歩いても行けるんだ。県境のところでみんな行ったり来たりして面白いけど」
「県境がそう言うふうにあるのって、結構興奮するんだよね。私なんて千葉育ちだから、橋しかないからね」
「そうだったね」

 待って、それで終わりなの。また来ようとか、言ってくれないんだ。やはりこれで最後になるのか、史之との旅ももうすぐ終わるのかと、寂しさが込み上げてきた。それでも、笑っていようと思った。
 
 関門海峡自体はそれほど広いところではない。
 それでも、国際海峡で色々な船が行き来する。

 そして、大きな戦もあったところだった。源平の壇ノ浦の戦い、幕末には攘夷と言って外国排斥運動がおこり、ここで砲撃をしてやり返しされるという事態になったこともある。そのことを記念した砲台も置かれていた。もう一つ日清戦争の講和会議もここ下関だ。

「ここが転換点でもあったんだろうな」
 感慨深げに史之が言った。
「その転換点を作り、大きく変えたのが、高杉や井上馨、伊藤博文達だと思うと、凄い先見の明がある。最も彼らはこの時点では珍しい外国を見てきた人だからな」
「まさか、史之も運命の転換点に立っているとか、ないよね」
「そんなの自分じゃわからないだろう」

 否定しなかった。たぶん、もう隣に居なくていいと言われるのかもしれないと、心の準備をしておこうと思った。
 
 凛とした佇まいの史之は、背が高く華奢で、切れ長の目が印象的な細面という顔立ちもあってとても素敵だ。自分だけのものにしたかったのに。なんで、こうなった時に嫉妬心や独占欲が出てくるんだろう。

 門司港を散歩してみても、多香子はどこか上の空になっていた。何故か常に数歩下がって、史之を見ていることしかできなかった。
 史之はそんな多香子をそのままにしていた。ここのホテルに家族で泊まってという思い出は、口にしなかった。
 多香子の方も、史之が本来興味を持つ近代の建築物には、そんなに関心を表さなかったのに、違和感を覚える余裕はなかった。

 そんな風にぎくしゃくとしたまま、空港につき、東京に飛び立っていった。多香子は飛行機に乗って座席につくと、もう寝てしまおうと思った。胸がチクチク傷んでいる時に、なにか話をして傷口を広げるよりも、今はやり過ごしてしまいたかった。

 羽田について、多香子を送り届けようと車を走らせていた。
 多香子のアパート近くに車を止めると昨夜のことを思い出して、違和感が大きくなった史之は、とうとう多香子に聞いてしまった。

「僕はもっと多香子のあえぎ声を聞きたかった。啼かせるつもりだったんだ。それなのに口をしっかり閉じて、声すら小さかったの、おかしいじゃないか」
「だから、変わってしまったかもしれないと」
「あの男のせいなんだろう」
「抱かれる時に声を出すなと。受け入れたから」
「そうか。お仕置きってそういうことなんだ。どんな男なんだ」
「……」

 多香子はお仕置きをと口走ったことは覚えていなかった。これ以上余計なことを、言うわけにもいかない。黙るしかなかった。薄ぼんやりとした記憶の中で、史之の見せたお前は誰だと言っているかのような、冷たい目だけは鮮明だった。

「教えろ。いや、会わせてくれないか。それは無理だろう。だから、教えてくれ」
「……」
「多香子がいいのなら、僕が言うことじゃないかもしれない。だけど、君が危険なことにあわせたくないんだ。僕には心配する権利くらいはあるはずだ」
 多香子はスマホで、晴久のクリニックのホームページを見せていた。
「この人。精神科医で心理学者なの。メンタルクリニックをしている。最近はセックスカウンセリングで、ちょっと名前が出てきているらしいの」
 史之は患者のふりをしてでも、あってみようと思っていた。

 多香子はそのまま車を降ろされていた。
 史之はさよならのキスも、おやすみのキスも、してくれなかった。自分からキスをしていればよかったかなと、遠ざかっていく車を見送って思った。

 自分に向けてくれる熱が、下がっているのは明らかだった。それでも、別れようと言われないのが、救いなのかどうかは、今の多香子には分からなかった。

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