最低な私

私は今、救急病棟の待合室にいる。

おばあちゃんが救急車で運ばれたからだ。
原因は信号を渡り終えた矢先の
点字ブロックにつまづいたことによる転倒。


私はおばあちゃんとカフェに来ていた。
なぜならおばあちゃんが私について来たいと言ったから。
おばあちゃんは日頃家にいるから
いい気分転換になればいいと思った。

だから車で親戚の移動ついでに下ろしてもらって
カフェに来た。
カフェで好きなものを沢山頼んであげた。
喜んでる顔を沢山写真に収めて
次の約束と県内のカフェ巡りをする約束を
何度も取り付けた。
私も正直、嬉しかった。

おばあちゃんがドン・キホーテに行ってみたいと言った。
だから連れていった。

私は日頃から用心深くおばあちゃんを見ていた。
信号を渡っている間だってそう。
お店の中でも
家の中だって
おばあちゃんが楽しめるように
考えて考えて行動した。

なのに。

チカチカになる青信号をみては
「ゆっくりで大丈夫だからね。」と
手を引き、手を軽く上げながら
車を止めて背中を支えた。

なのに。

なのに。

私がドン・キホーテを指さして
おばあちゃんの方を振り返ると
おばあちゃんの顔が床から数センチ上にあった。

ドコッ。

こんな音がした気がする。
正直あやふやで覚えていない。
ただ重くて低い音が短くした気がする。

気づいた時には
周りの人がおばあちゃんを起こしていた。
私は「しまった...」とは思わなかった。

  「あら...痛かったね大丈夫!?😢」

これが本心だった。
嘘偽りない私の気持ち。

あたかも他人事のような会話だ。
でも今考えるとその瞬間は

私よりおばあちゃんを知らない人が
私よりおばあちゃんに親しげで
私よりおばあちゃんを思いやっていて
全部全部私のせいにされているみたいで
不満を持ってしまっていたのかもしれない。

人間の心とは本当にめんどくさいものだ。
全て捨ててしまいたい。


   私が全部悪かったのに。

   おばあちゃんのせいにして
   ごめんなさい。

そのあと何人もの道行く人みんな私に
「救急車を呼んだか」
と聞いてきた。
「大丈夫ですか?」
「今転倒していたの見ていました」
「良ければ椅子も持って来ましょうか?」と
店の人まで出てきた。

おばあちゃんは
「呼ばないで。まずは親戚を呼んで」
と言っていた。


分かっている。
みんなみんなうるさかった。


私が正しい判断をすべきなんだ。
私に責任がある。
何人来ても同じだ。
おおごとにするな。
関係ないのに入ってくるな。
私が対応してるだろうが。
邪魔だった。

学校でもそう
怪我人や泣いている人に
脳死で必要以上の人が
必要以上に群がって
お前らは何ができるの?

お互いに合理的でもなく
何の意味もないこの行動が
私は昔から本当に理解できなかった。
何なら群がる人たちは

“頭が悪い。”

そう思っていた。


    ただおばあちゃんの状態を
   2人で静かに確認させて欲しかった。  

なんで私が携帯を持って話しているのに
ずっと後から来たお前が
救急車を呼ぼうとしているんだ。
そんなに信用がないのか?
そんなに何もできないように見える?
私の携帯が見えていないの?
どーせまだ呼んでないだろうって思ってるの?

寄ってたかって
何度も同じ質問をしてくるな。

小娘だから救急車の
対応の仕方も分からないとでも思ってるのか。
こちとら来年で医学部卒業だ。

偽善者め。うるさい。


でも

私は、迷っていた。
いや、迷ってしまったんだ。
命とお金を天秤にかけてしまった。


おばあちゃんも
一緒に住んでいる親戚も
みんなお金が無い。
そのくらいは分かっている。
だから私が払うんだ。

親に虐待されて
授業料も払えず
保証人もいなくて
保険証もない
自分の体1つで全部稼いで
色んな連中に追われて
私が精神的に病んで自傷しながら
命懸けで稼いだ汚いお金を払うんだよ。

おばあちゃんだって、分かってた。
保険証を持ってきてないことも
自分がお金を持っていないことも。


お前らには分からないだろうと思った。
何にも知らないくせに。


何人も何人も好奇の目に晒されて
私もおばあちゃんも肩身が狭かった。
見てくるな。

おばあちゃんにそんな気持ちをさせるな。

私は今日この日に
家庭の問題も知らずに
強引に救急車搬送を勧めてはならない
そう強く感じた。

命とお金は
命が優先されて当然だ。
そのくらいわかっている。
当たり前だ。

でも結局私が6万払うことになった。
私がお金を出したことを渋ったり
怒ったりしているのではない。


  “もし私がいなかったらどうなっていたのか”


それだけが気がかりでならない。

誰が支払うことができただろう。


こうやって


  周りのせいにしてる私が1番死ねばいいのに。

  私が我慢すれば片付くのに。

  私が頑張って身体を売れば
  すべて片付くのに。

  私が逃げようとしたんだ。

  お金と命を天秤にかけようとしたんだ。

  おばあちゃん私が連れ出して怪我させて

  ごめんなさい。


昔、なにかの宗教を信仰している時に
出会う人にはそれぞれ意味がある
と聞いたことがある。

きっと
声をかけてくれた人達は
私が後悔しないよう
何か間違いが起きる前に
おばあちゃんの命を守る決断をしなさいと
教えてくれた人たち。

本当にありがとう。

私は後悔しないで済んでいます。

おばあちゃんは検査も終わって
さっき元気に帰りつきました。


私のせいでごめんなさい。

私がもっと頑張らないと。

おばあちゃんが元気なら、それでいい。

ただ純粋に安堵した気持ちと
感謝が湧いてきます。

みんなが幸せに生活できるように
私がもっと頑張れますように。

私が今以上に
みんなを裕福にできますように。


          神様。

      私も少しだけでいいので

      幸せになれますように。

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