見出し画像

キライじゃなくて女友達


今回の日刊かきあつめのテーマは#私のキライな人です。

親友A子からLINEが来た。

「B子から嫌われたかも」

ぐったりしたLINEスタンプが添えられている。

なにやら、年賀状を送ったのに返事がないとのこと。これ、学生時代の昔話なんかじゃない、40女の話である。

「忙しくて書きそびれてるのかもしれないし、長期で旅行に行ってるのかもしれないよ」

とあらゆる想定で慰めてみるが本人は非常に気を揉んでいる様子。

数日後、またLINEが来た。

「やっぱり嫌われてるよ。B子から今更年賀状の返事来たんだけど、わたしは『遊ぼう』て書いたのにそれはスルーされて、体に気をつけて、てだけ書いてあったの」

A子は悲嘆に暮れている。

「やっぱり私の事嫌いなんだ」

多分違うと思う、と言おうか迷う。
B子は、現在3人の子供の子育て中で、一番下の子はまだ乳飲み子だという。子育てに忙殺されてるのでは。さらには地方の名家に嫁いだB子。年末年始は嫁として親戚付き合いなど大変なことくらいは想像するに容易い。
独身の私やA子からすると具体的にどのような毎日を送っているのかは全く分からないけれど、自分の時間なんてきっとほぼないんじゃないか。だったら年賀状の返信もそら雑になるよな。

大体A子とB子は学生時代からの長年の友人だしお互いの事をそれなりに分かっている。どちらかというともはやなんとも思ってない気がする。それは「嫌い」よりA子にとっては酷かもしれない。愛の反対語は無関心だとその昔マザーテレサが言っていたのを思い出した。

学生時代は友達とつるむのが楽しくて、どこへ行くにも一緒、何時間だっておしゃべりし倒したりして、それでも足らず文通したり。それが大人になるにつれ、彼氏ができたり家庭を持ったりすると、もっと密な絆ができ、友情の間に入り込んでくる。そうするとめりめりと距離が離れてしまう。詮無いことである。

数年後子育てにひと段落ついたら、B子は久しぶりにA子を思い出して、何の気なしに「お茶でもしない?」とか誘いそうだ。

そしたらA子は「嫌われてなかったんだ」と歓喜するだろうか。はたまた「あのときはつれない態度で自分のことを苦しめたくせに随分虫がいいじゃないか」と拗ねるだろうか。

大人になったら女友達ってそんなもんだよなあ。そう思ってるからか私は女友達を嫌いになるってことがない。日々やり取りする僅かな親友を除いて、気になったら連絡して、気が向いたら会えばいいし、たまに忘れたり忘れられたりもする。ただそれだけ。

文 べみん
編集 アカヨシロウ

ジャンルも切り口もなんでもアリ、10名以上のライターが平日(ほぼ)毎日更新しているマガジンはこちら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?