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芯の弱さと責任逃れ

「物事に一貫性をつけること」

私の中のささやかなポリシー。自分の考え方・価値観をブレさせないこと。誰かに「A」と言われたから「A」というのではなく、自分の頭で理解して「A」と言えること。それが「A」じゃなくて「B」が正しいのではないかと思ったら「Bじゃないのか?」と声を上げられるようになること。間違うことは恥じゃない、間違った考えを正せることに意味がある。

昔から友達に「みずほは芯が強い」と言われる。内心、「気が強い」の間違いじゃないか?(笑)と思っていたりすることもあったが、前述の通り私の中のささやかなポリシーはまさに「芯が強い」に当たるようだ。とはいえ、これが「芯が強い」にあたると気付いていなかった私は、「自分の考え方・価値観をブレさせないこと」は誰でも出来ることだと思っていた。私が取り立てて凄いなんて、今でも思っていない。

ただ、「芯が強い」という言葉があると言うことは対義として「芯が弱い」ということもあるのだ。自分の考え方、価値観、言動がブレブレ。あの人は「A」と言っていたから「A」だと思う、こっちの人が「B」と言っていたから「B」だと思う。「あなたの考えは?」と聞かれても答えられない。あの人が、この人が、と指を差して、自分の答えを見つけられないまま。

…誰にでも出来ることだと思っていたからこそ、こういう人を「信用ならない人」「上っ面がいい人」だと思っていた。そうじゃなくて、単に自分で決められないだけなんだ、と気付いたのがつい最近だった。簡単に言えば、集められたアンケートの回答を自分の回答にしてしまう、と言えばどれほど自主性がないかお分かり頂けるだろうか。「大衆の意見こそ全て」、「みんなが言ってるから」…そりゃ通販サイトのレビューの上澄みだけにしておけ、と申し上げたい次第。合う合わないは使ってみなきゃわかんないじゃんね。

ただ芯が強かろうが弱かろうが、選択の結果には責任が付きまとう。「自分が決めたこと」だったら責任が付きまとうのはさくっとご納得頂けるだろうが、「あの人が言ってたから」に責任が付きまとうと言われると「私が決めたことじゃない」と言われそうな気がする。あの人が言ってたから「私もそれにする」と決めた時点で選択の責任は発生すると思いますぞ~。

芯が弱いこと…もとい、考え方がブレブレであることを責めはしない。そうなってしまったのは本人だけの責任ではないのだろう。生きてきた環境だとか、周りの人の影響力だとか、なんか…まぁ色々あったんだろう。理解に及ばないが。ただ、芯が弱いことを言い訳に責任逃れが出来るわけじゃない。

責任逃れをしたらその時点で「芯が弱い」だけじゃなく、「信用ならない人」になってしまうってことは覚えておいてほしいな、と思う。

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