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「貶し愛」って、本当に「愛」ですか?

数日前、某動画配信サービス日本支部のTwitterが軽く炎上した。理由は、作品とその出演俳優を「貶した」上で「宣伝」したからだ。その作品のファンは怒りの声を上げていた。その中で印象的だった言葉があった。

作品の魅力を伝えたいのにdisる、いわゆる「貶し愛」は言ってる本人しか楽しくないし、周囲のそれを好きな人は聞いてるだけで不快になる

「好きだけどdisっちゃう私!本当は他の人よりも分かってるんだから」感を出したくてやってるのかも知れないけど、実際聞いててあまり良い気はしない。同じものを好きだと言ってる人からしてみたら「なんでわざわざ悪く言われるのを黙って聞いていなければならないのか!?」と言う状態なのではないだろうか。

作品・役者などに対するリスペクトの精神は、残念ながら「dis」で伝わるものではないと思っている。それどころか、その「dis」によって他のファンの顰蹙を買い、作品・役者の価値を下げることになるだろう、とさえ思っている。

今回の「貶し愛」が大事になったのは、発信者が「公式アカウント」だったからだろう。とは言え、個人発信であっても見ている人は見ているものだ。あのグループのこの人のファンは品が無いだとか、あのジャンルはマナーが悪いだとか、あの作品のファンは怖い人が多いとか、一箇所が切り取られたらそこが全てになってしまう。「貶し愛」なんかじゃなくて「アンチ」だらけ、としか見てもらえない。

作品・役者に対する敬意を持って接すること。何かのファンであり続ける以上、その「何か」が誇ってもらえるファンでいられる様、誠実であった方がいい。作品の価値を高めるのは一部の熱狂的なファンだが、作品の価値を下げるのは全てのファンの言動だ。何度も言うが、一箇所が切り取られたら、そこが全てになるからだ。

ところでこの一件で、私はこの作品に対しとても興味が湧いた。この「貶し愛」宣伝に対し、真っ向から「そう言う発言をするな」と不快感を示し、作品を守ろうと動くファンがたくさん居たからだ。そう言うファンが多くいると言うことは、きっと良作に違いない。いつか絶対、その作品は観てみようと思っている。

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