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8/11 不安定の心意気

安定した仕事を探して幾年月。そう言いながら、自分に安定した仕事が向いていないことも自覚している。

私は若い頃から、望む望まざる関係なく自営の人生で、父がバリバリの生真面目サラリーマンだったことを考えると、特殊なのではないかと思う。ちなみに母は専業主婦だったが、結婚前は保母だった。やっぱり安定してる。

母は私に弁護士など国家資格を望んでいたフシがあり、私もその気持ちに応えようと小学校の時は「弁護士になりたい」などと卒業文集に書いている。小っ恥ずかしくて、小学校の同級生に会えない。

私が成長するにつれ、弁護士は望めないことがわかり、銀行員とか言っていたように記憶しているが、その頃の私に母の望みなんて全く届いていなかった。母からの助言など完全無視で、今に至る。

今、不安定な状況に陥っている私だが、じゃあ母の言う通りに生きていたらよかったのかと言うと、それは違うなと思う。ただ、夫と結婚した後も、自分の居場所を家庭以外に築いておけばよかったとは思う。

今からでも遅くないとわかっているけど、焦るね。50歳だし。それでも、足掻き続けますよ。私にもきっとできることがあるはず。自分のためだけじゃなくて、他者のためにもなること。

これからの豊かさって、お金じゃない。それはもう、この日本に住まうほとんどの人が肌で感じていると思うけど、お金があると人生が変わると思いがちですね。そりゃお金があったら、いろんなことが楽に、近道で叶うわけだけど、お金の使い方がわかっていない人が大金持つと碌なことにならない。お金がないならないで、頭を使うしかないわけで、チャンスはきっとある思うしかない。負け惜しみっぽく聞こえるかもしれないけど、本気でそう思う。

それが豊かさなんじゃないかなあ。生きる方法が一つじゃないと知ること。自分が活かせる場は他にもあるはずと信じられること。ひとりでは叶わないことも誰かと一緒なら叶う可能性があること。そしてそれは最高に楽しいってこと。お金で解決する以外の方法を模索できること。

そりゃ、楽じゃないですよ。精神の健康が必須条件でもあるしね。この世の中、精神が健康な人がどのくらい残っているか問題はあるとして、なんとか持ち堪えられている人は、それを証明しながら生きていこうじゃありませんか。

と、自分に言い聞かせながら、今日はこれから志の輔「牡丹灯籠」@下北沢本多劇場へ行ってきます。数年ぶりなので、楽しみです。



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