【読書】城山三郎『そうか、もう君はいないのか』を読んだ
城山三郎『そうか、もう君はいないのか』を読み終えた。
後半になるにつれ少し散漫な印象があって終わりも唐突なように感じたのだが、あとがきで未完の原稿群を編集したものだということがわかった。城山自身も癌によってこの小説を書き終えることができなかったのだという。内容は穏やかな抑制の効いた回想で、過度な感傷が無いのでするすると読めた。それでいて亡くなった妻への想いは行間に溢れていて、城山にとって理想的な「作家の妻」であり何より魅力的な女性だったんだなと自然に好感が湧いた。
あとがきは城山の娘による作品解説とその後の城山を書いたもので、城山の死に顔が穏やかだったのを「良かったね。お母さんが迎えにきたんだね」と兄弟で話し合う場面のページに、私にこの本をくれた友人Nが栞のように知り合いの劇団の公演のチケットを挟んでいた。
Nは私にこの本をくれた翌月に癌で亡くなったのだが、亡くなるその年になって病状を知った私と、Nとの共通の友人Kとの二人で名古屋に住むNに会いに行った。
その頃のNはまだ活動的で、15年前Nとよく歩いた商店街を一緒に歩き、当時と同じようにブラジル人が営む鶏の丸焼きを売る店でビールを飲んだり、コタツのある居酒屋に上がり込んで燗酒を飲んだりした。
その日はNの家に泊まったのだが、翌朝彼の家を出る際、Nはさりげなく私に横光利一『機械」の復刻本とこの本を持たせてくれた。あと何故か釵をくれた。私はその武器をミュータント忍者タートルズのアニメやゲームくらいでしか見たことが無く実物はその時初めて見た。
この本自体に栞の紐が付いているので挟まれていたチケットはただNが忘れたものか、それともこのような最期を望んで時折開き見ていたものか、今では分かりようもないが、不意にNの生きていた時間の名残りを見つけたようでドキリとした。いやそれを狙ってのいたずらだったのかもわからない。こんな読書もあるんだなと思った。