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たくさんのふつうがあっていい。それがいい。

「普通」ってなんだろう。

普通が嫌な人もいれば、普通に憧れる人もいる。

「普通に生活ができたらいいのに」「普通に結婚したい」「普通に勉強してほしい」「普通に働いています」

Twitterで「普通」を検索してみると、驚くほど頻繁に「普通」という言葉が使われている。

でもそれぞれの「普通」は解像度を上げていくと微妙に違う。

「普通の生活」ってどんな生活?
「普通の結婚」ってどんな結婚?
「普通に勉強できる」って、「普通に働く」って何?

と、私の中の好奇心は問いを向けてみたくなるのです。

それぞれの「普通」の中には、たくさんの要素が詰まっていて、それを「普通」というたった二文字に置き換えて一般化してしまうのはあまりにさみしい。

これはコーチをしていて思うことなのですが、その「普通」のひとつひとつに好奇心を持ち、丁寧に紐解いてみると色とりどりの「個性」が鮮明になっていく。

一見矛盾しているようだけれど、普通=個性の集まりだと私は思うのです。
その個性をかき集めて、抽象化し、あまりに雑に一般化したものを、私たちは「普通」と呼び、その言葉を容易く使っている。

そしてそれを悪気もなく、他者に使っている。

「普通はこうするんだよ。」と。

そしてその言葉を受け取った側は、「普通」の意味を自分の内側ではなく外側で必死に考えてしまう。

「みんなにとっての普通とはなんだろう。」
「お母さん/お父さんにとっての普通ってなんだろう。」

そうやって"誰かの普通”になろうと必死になる。
置いて行かれないように、ひとりぼっちにならないように。

先日こんなツイートをしました。


「普通でいいのよ。」

親から言われたこんな言葉が、もしかしたら子ども心の奥底にはずっと染み付いているかもしれない。

普通という言葉が持つ、過度な一般化という側面。

目の前にいるたった1人の大切な相手に対して、この「普通」という言葉の暴力性を見落とすことなく言葉を選びたい。

「誰か」に対しても、同時にそれは、「自分自身」に対しても。

「私は普通じゃない。」と自分を否定することのないように。
普通の中にはたくさんの個性が詰まってるから。普通じゃないことに苦しんでいる方は、普通じゃなくていいんだよって、やさしく自分に声をかけてみてください。

普通は個性の寄せ集めであるし、

個性が集まるから普通になる。

だから普通でもいいし、普通じゃなくてもいいのです。あなたは、たった1人の尊いあなただから。

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