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エッセイ| 一袋のポテトチップス

 全部自分のものだったら、どんなに幸せだろうか。袋の前で衝突する手。私よりも少しだけ大きくて、硬い手。私の手を押しのけ袋の中に手を突っ込んだ。あっ、一気に3枚もとりやがった!睨みつけると、あざ笑うかのように手に持ったポテトチップスを口に放り込む。私も真似して、何枚もつかんで口に放り込む。すると今度はさっきよりたくさん掴んで口に運ぶ兄。そうして袋の中のポテトチップスを奪い合っていると、瞬く間に袋の中は空っぽになっていきました。
 食べ終わった後も、どちらが多く食べただの、食い意地が汚いだの、言い争いは絶えません。そしてそれは次回のポテトチップスが現れたときまで続き、お前はこの前5枚も多く食べたんだから、今回は俺の方が多くたべるからな、いやいや、前回俺はほとんど食べてないし、思い込み激しいんじゃない?などと言いながらまた奪い合う。ばかばかしいけれど、幼い私たちにとっては大きな問題でした。ポテトチップスを一枚でも多く食べるため、実力行使も辞さない姿勢を常にとっていました。

 隣の家に住む2つ年上のD君という男の子がいました。歳が近いこともあり、学校帰りや休みの日、私たちはよく一緒に遊んでいました。
 D君の家にはいつも最新のゲームやおもちゃや漫画がそろっていました。私たち兄弟は一つの部屋を一緒に使わなくてはいけなかったけれど、D君には自分の、自分だけの部屋があっりました(しかもテレビ付き!)。お菓子だって誰かと奪い合わなくてもいい。テレビはいつでも自分の好きなチャンネルを見ることができるし、ゲームの順番待ちをする必要もない。もちろん兄のお下がりの服を着ることもない。全部独り占めできることが羨ましくてたまらなかった。自分も一人っ子になりたいと、テレビのリモコンを奪い返そうと兄の腕にしがみつきながら、強く願っていました。

 大学進学を機に実家を出て、はや8年が経ちました。一人暮らしをしていれば、もちろんポテトチップスを取り合うことも、テレビのチャンネルで喧嘩する必要もない。一人で食べる一袋より、喧嘩しながらも分け合う一袋の方がずっとおいしかった、なんていうつもりはない。けれど、一袋は一人だと少し多いことを知りました。テレビだってどうしても見たいものなんてほとんどなかった。働きだせば、あの頃欲しかったものは大抵すぐに手に入って、全部独り占めできた。私はきっと満たされたけれど、あの頃よりずっと退屈でした。夜、食べかけのお菓子の袋をクリップで止めながら虚しさが込み上げました。

いなくて寂しいとか、会いたいとか、思うこともない。それどころかたまにしか会わなくなった今でも、些細なことで言い合いになってしまう。もし子供に戻って、一人っ子か兄弟か選べるとしたら、でも私は後者を選ぶと思う。些細な事で喧嘩もするし、ポテトチップスだって分け合わなくていけないけれど、それくらいがちょうどいい。喧嘩して、分け合って、たまに、本当にたまには守ってくれたりもして。大人になった今、一袋のお菓子を取り合うことはもうないけれど、その時間は不思議な温度で、私の中に宿っています。そうして、まだ一袋は食べきれそうにないと、食べかけのお菓子を戸棚にしまう。少しだけ、ほんの少しだけ、寂しいような気もしながら。

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