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『ファンタスティック・プラネット』への自己投影~我々はドラーグ族か、オム族か。

※ネタバレあります。


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不気味なビジュアルのパッケージに絵画のようなアニメーション。
その見た目から敬遠する人も少なくない不朽の名作『ファンタスティック・プラネット』がAmazonPrimeVideoにやってきた。

カルト的人気を誇る名作アニメとしてサブカルチャー界隈で名前の挙がる本作は、その美術的表現の高さと独創的な世界観から各所で高く評価されている。

こういう前評判を聞くと「さて、どういうところが評価されたのかな?」と斜に構えて観てしまいがちだが、いざ本編を見ると単純にめちゃくちゃ面白い。ネームバリューも批評家のコメントも関係なく、純粋に惹きつけられてしまった。

特に凝った世界観の設定描写がとてもよく、訳の分からないようである程度の理屈が伴っているから眠くならないどころか知的好奇心すらくすぐられる。原作小説があるようだが、映像化にあたって意味不明なSFに堕ちないのは素晴らしい演出と美術、作画や音楽によるものだろう。

この設定が良いと思う大きな理由には、妙に目が離せないドラーグ族のビジュアルとその無機質で高次元な生活文化がある。だんだんとこの世界の構造と真実を知りたくなってくる。
とはいえ、彼らが飼っているオム族は我々人間そっくりで、虫けらやペットのように扱われているため、オム族がドラーグ族に好き勝手されている様はなんとなく居心地が悪い時もあるからハラハラとする。

しかし「ここからどうなっていくのだろう」という気持ちは怖いもの見たさからか、あるいはオム族の主人公・テールに希望を見出したからなのか
オム族とドラーグ族の戦いは純粋な種族の権威をかけた戦いであり、観客である自らを虫けらを蹴飛ばすドラーグ族とするか、人間に近しいオム族とするかは観客次第なのだ。


さて、主人公・テールの成長は希望として描かれていくが、我々人類の現在の生き方には果たしてテールのような強さがあるのだろうか。ストーリーのオチを見ればテール達がいわば我々の祖先にあたるということになるが、何千年もの時を経て、我々は傲慢なドラーグ族と化しているのではないかと思う。

この作品はおちょくっていたオム族にしてやられてしまったドラーグ族への皮肉を現在の我々に向けて叩きつけているのかもしれない。

人類よ、オム族のように強くあれ、と。
自らより強い敵がいなくなり、弱肉強食の輪から外れて思いあがっている今の人類は傲慢なドラーグ族そのものではないか、と。

我々が愛や結託、種の権威を維持していた強さを思い出し、オム族に戻ることのできるチャンスは果たして訪れるのだろうか。
戦争や生命の在り方へも問題提起するかのような本作は令和にこそ必見である。

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