『Ich seh Ich seh(グッドナイト・マミー)』を再び観て
Amazon OriginalによるMatt Sobel(マット・ソーベル)『Goodnight Mommy(グッドナイト、マミー)』(2022)を年始に観たとき、わたしはオリジナルであるオーストリアのVeronika Franz(ベロニカ・フランツ)+Severin Fiala(セベリン・フィアラ)『Ich seh Ich seh(グッドナイト・マミー)』(2014)の内容を完全に忘れていた。最後はなんか盛大に燃えていたな、くらいの印象しか残っていなかった。
ただ、「おもしろかった」という記憶だけは残っていた。そろそろこの状態、つまり「話の内容は全然覚えていないのにそれを受けとったときの感情だけが深く心に刻まれている状態(ゆえに人におすすめしようと思っても「よかったよ!」としか言えない状態)」に名前をつけたいところ。もうあるのかな? ひとまずここでは「忘却の中の激情」と呼んでみることにする。おそらくこのあとで使うことはないけれど。
オリジナルは、オーストリア映画である点、コミュニケーションのあり方が歪で成り立たず、またそれによって一部のキャラクターが精神的のみならず身体的に徹底的に痛めつけられる点などから、Michael Haneke(ミヒャエル・ハネケ)の『Funny Games(ファニーゲーム) 』(1997年)を想起させるものだけれど、Amazonによるリメイク版では、Haneke自身による『Funny Games』のアメリカリメイク版『Funny Games U.S.(ファニーゲーム U.S.A.)』(2008年)で主演を演じたNaomi Watts(ナオミ・ワッツ)がまたしても主演を担っている。
どことなく漂う「2周目感」は、けれど、わたしにとってはとくだん気になるものでもなく、むしろループものは好きだし、Naomi Wattsはクールだし、オリジナルのプロットを忘れていたこともあってとてもおもしろく観ることができた(一応書いておくと、本作はループものではない)。
その後、「オリジナルってどんな内容だったっけ?」と思い、続けてオリジナル版を観なおした。すると、リメイク版が全体的にこの作品がもともともっていたゴアな部分をそこそこオブラートに包んでいることがわかった。
ある日、頭中に包帯を巻いて帰宅してくる母。それを迎える双子の兄弟。母の様子はどこか以前と違う。というよりも、双子がそのように強く疑いのまなざしを向ける。人の心の中に芽生えた猜疑心というのはなかなかに厄介なもので、その芽は一度でも顔をのぞかせたら最後、つねにその存在が虚構や幻想と紙一重である「真実」とされるもの、否、自分が「真実」だと思えるものに出会えるまで突き進んでいく。猪突猛進。
自分のほうが間違っているのではないか。悪いのは自分たちなのではないか。そんな思いも双子の中にはあったのかもわからないが、一向に以前の状態に戻らずつねにイライラしがちな母に対し、守りの姿勢から攻めのそれを転じる。
おまえは誰だ。
ぼくたちのママを返せ。
そう、双子の猜疑心は「母が変わってしまった」と思うだけにとどまらず、「この人は母じゃない」「母を奪った人物だ」という方向へと進んでいく。母とされる人物はベッドに縛られ(ここ、オリジナル版と違ってリメイク版ではダクトテープが使われます。やはりアメリカ)、真実を言え、母を返せと子どものまっすぐな猜疑心を文字どおり全身で受け止めなければならない状況になる。
Hanekeの『Funny Games』と同じく、途中でその痛々しい惨劇に終止符を打てる可能性のある人物が登場するのだけれど、やはり『Funny Games』と同じく、そのかすかな救いの光はあっけなく影に飲み込まれる。
最後は火災。そこは一緒(ちなみに、実は大事なオチについては一切ふれていないです)。
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