見出し画像

なぜセンスのない人ほど服にツッコんでくるのか

自分のファッションについて、誰かにつっこまれたことはありませんか?

「え、その服どうなん?」
「またそんな格好して!」

正直ほっといてほしい!
褒めるのはいいけど、つっこまないで…

とは思えど、オシャレには客観性も必要なので、時にはありがたいアドバイスもあるんですよね。

よく、「好きな服を着よう、人の意見は気にするな」と言われます。

私は気にするべき意見と、一切気にしなくていい意見とがあると思うんですよ。オシャレになるには、そこを区別しなくては!

パターンその1 オシャレのクオリティへのつっこみ


服装に対してつっこんでくる人は、大きく分けて2パターンあると思っています。

ひとつは、「オシャレは良いことだ」という立場の人。ダサいスタイルや、もっと似合うものがあると思う時、良かれと思って、心配な気持ちからつっこんでくる。

余計なお世話のこともあるけれど、意見の元は「美意識」なので、うまく取り入れればオシャレ度をアップできます。

例えば信頼している友達の意見は、耳が痛いけど参考になるっていうやつ。婚活にその服はどうなん?とか。

イメージコンサルティングやパーソナルカラーも、元は美意識という概念から生まれています。うまく取り入れたら、オシャレの役に立ちますよ、という情報ですね。

パターンその2 オシャレを笑うつっこみ


もうひとつが、全然オシャレじゃなかったり、あるいは年代も違うような人からのつっこみ。

ときには家族だったり、会社の人間だったりするかもしれません。
オシャレについて詳しい訳でもないのに、自信たっぷりに服について語る人たちっていませんか?おまいう?ってやつ。

「そんな服はおかしい」「色気付いて」「誰も見てないのに」

「オシャレなんて浮ついているもの」「くだらない」という立場でしょうか。オシャレに無頓着な人ほど、オシャレをただの自己顕示欲ととらえる向きがありますね。

あと、学生のくせに、母親のくせに、ご近所さんの目が、いい歳して、、、、というような意見。

こちらの意見の元は「役割意識」。

初めて買ったルージュや、久しぶりに着るワンピース、そういうときめきを、「何でそんなものを」と鼻で笑われたり。

こちらは、オシャレのやる気をなくします。自尊心をえぐられる。なぜなら、オシャレをしようとした自分の内面を笑われているから。


よく、イメコンやパーソナルカラーが、「似合う」という「役割」への押し付けであり、このパターン2のような余計なつっこみと思われてるフシがあります。

「気にするな」と否定されることがあるんですが、それは悲しい勘違いだなと思います。イメコンはオシャレを応援する立場なので、考えが全く逆なんですよね。

オシャレに興味がなくても、役割としてのファッションに厳しい目を持つ人ってすごく多いです。

似合う似合わない、好き嫌いではなく、何よりTPOを重視する方々。
少し保守的な感性の大人たちです。

こういう人たちにとっては、ファッションは社会のルールの一つであり、目立たず、人様に恥ずかしくない事を第一にした身だしなみ。

だからこそ抑圧的に、しかし良かれと思ってアドバイスをしてくるんですね。
はみだすな、と。

日本の女性がファッションで悩みやすいのは、このパターン2の人たちの声が大きいからでは?と思うことがあります。

こういう人たちの言うことは、華麗にスルーしましょう!

だって、その服を着ようと思った「その人の内面」にはまったく興味がない人たちだから。だから「あなた」への言葉ではないんですよ。

女性の役割とファッション


日本は特に、女性のことを「役割」として捉える傾向が強いと感じます。

誰々さんという個性やアイデンティティより、娘、妻、母、職業という役割を通してしか女性を認識しない人は、まだまだ多くいます。

他人のファッションへの保守性は、ジェンダーのような役割意識と深く結びついていると感じます。「〜〜べき思考」が強いと、人の服にも不寛容になる。

清楚な娘はこういう服、女性社員はこういう服、貞淑な妻はこういう服、母親たるものこういう服…

未だに女子学生さんが、極寒の真冬でもスカートに生脚で、タイツもズボンも禁止されている学校は、この子供+女性の役割意識がえげつない訳です。女の子の足冷やしていいことないのに。

しかも、役割が変わったらすぐふさわしいファッションが出来ると思っているフシがあるんですよね…。過渡期がない。

娘からレディになれば、恥ずかしくないメイクとファッションがすぐ出来ると思っている。学生時代はメイクに眉をひそめていた大人たちが、仕事となったらメイクはマナーと言い出す…。

ファッションという地道な努力への理解が薄い。練習期間を考えてほしいですよね。イメコンはそうした変化の過渡期を支えていると思います。

役割が自分の一部になったら自然と着る


役割としてのファッションは、その役割が自分にとってのアイデンティティの一部になったら、自然と身に纏いたいと思うものではないでしょうか?

例えば、ママとして恥ずかしくないファッションをしたいのか、ママに見えないファッションをしたいのかは、その人のアイデンティティのあり方で自由なんじゃないかな。

管理職としてふさわしい格好をしたいのか、むしろふさわしくない格好をしたいのかは、その人の仕事のやり方そのものというか。

服を着て、人と関わって生きている以上、何かつっこまれることは避けられないかもしれません。

立場や生き方が変わる時、ファッションやメイクを変えなければいけない事は往々にしてあります。

でもそれは、あくまで自分が心地よくあるため、新しい自分の姿を、自分自身の手で作り出した結果なんです。

私たちは服やメイクを通じて、どんな自分でありたいかいつも探っているようなもの。

日々のスタイリングは、変化していく自分に戸惑いながら、毎日アイデンティティを作っていく作業ともいえます。

正直難しいので、ファッションやメイクへの悩みは尽きません。

でも、その悩みの先には、いつも新しい自分が待っていますから。オシャレをして、新しい自分に会いに行こう!


🍀大阪市福島区のカラーコンサルティングサロン「ひすい堂」にてお待ちしております。

16タイプパーソナルカラー診断受付中✨

ホームページはこちら


各SNSからもどうぞ💁↓↓


🐦Twitter
https://twitter.com/mizorehisuido

🖼️Instagram
https://www.instagram.com/hisuido_color/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?