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「厚生」と「労働」の深刻な矛盾ー訪問看護事業所等における緊急看護対応の待機時間に対する残業代を認めた事例【アルデバラン事件・横浜地裁令和3年2月18日判決】ー

以前、次のような記事で本来業務外の待機時間における労働時間性が問題となった事例を紹介しました。

以前のシステムメンテナンス事件では、結論として待機時間の労働時間性が否認されました。
ただ、その際、私は

仮に待機の人員が1人であるなど、顧客からの連絡があった場合には必ず対応しなければならない状態であれば、いかに待機時間中に食事や買い物・就寝が可能であったとしても、仕事に対する緊張感を解くことはできないため、労働時間性が認定され得たのではないかと考えます。

上記記事の「最後に」より

との記載をしました。

そうしたところ、近時、訪問看護等に従事する看護師の待機時間が労働時間に当たるとして高額の残業代が認められたという裁判例が判例誌に掲載されました。

今回は、そのような事例としてアルデバラン事件(横浜地裁令和3年2月18日判決)を取り上げたいと思います。

どんな事件だったか

本件は、訪問看護事業などを営む被告会社に対し、看護師業務や訪問看護業務を行っていた原告労働者が、緊急看護対応業務のために待機していた時間を労働時間に含めて残業代計算すべきであるとして、未払残業代約1,100万円を請求したという事案です。

被告会社は、この緊急対応業務の待機時間は労働時間に当たらないと主張し、また、原告には固定残業代として管理者手当を支給していたため未払の残業代はないなどと主張しました。

これに対し、裁判所は原告側の主張を認め被告会社に対し残業代約1,000万円の支払いを命じました。

裁判所が認定した事実関係

本件で裁判所が認定した事実の概要は次のとおりです。

  • 平成28年7月27日、原告と被告会社との間で有期雇用契約を締結。

  • 平成28年9月1日、原告、常勤の看護師となる。賃金は月額40万円(基本給月額30万5000円、管理者手当月額8万円、資格手当月額1万円、緊急手当5,000円)

  • 被告会社は訪問看護ステーション、看護小規模多機能型居宅介護施設、グループホームを営んでいた。

  • 被告会社は、これらの利用者に対して緊急に看護が必要にあった場合に備えて緊急時呼出用の携帯電話を常時携帯し、呼出しの電話があれば直ちに駆けつけ、看護、救急車、医師への連絡等の緊急対応を行う業務を担当させていた。

  • 被告会社は看護師にNo1とNo2の携帯電話を渡す。このうちNo1が優先の電話であり、No2はNo1の電話所持者がやむにやまれぬ事情で対応できない場合に、No1の電話所持者に用件を伝えることなどに対応させていた。

  • No1の電話所持者は、電話の着信に遅滞なく気付き、必要に応じて速やかに看護等の業務に就くことが求められていた。

裁判所の判断

裁判所は以下の点を指摘して緊急対応業務の待機時間を労働時間と認めました。
そのうえで、管理者手当は固定残業代の支払とは認められないとしました。
その結果、被告会社は原告に対して残業代約1000万円を支払う必要があるとしました。

緊急看護対応業務の労働時間性

  • 労働基準法32条の労働時間は、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、実作業に従事していない不活動時間が労働基準法上の労働時間に該当するか否かは、労働者が不活動時間において使用者の指揮命令下に置かれていたものと評価ができるか否かにより客観的に定まる。

  • 不活動時間であっても労働契約上の役務の提供が義務付けられていると評価される場合には、労働からの解放が保障されているとはいえないため労働時間に該当する。

  • 本件の緊急看護対応業務は、呼出しの電話があれば直ちに駆けつけ、看護、救急車の手配、医師への連絡等の緊急対応を行うことを内容とするもの。そして、看護師が呼出しを受ける理由としては、発熱、ベッドからの転落、認知症患者の徘徊、呼吸の異変等であった。

  • 実際に看護師が駆けつけることまではしない場合にも、救急車の手配、当面の対応の指示等をするときもあった。

  • このような業務の内容等を踏まえると、No1の携帯電話を所持して緊急看護対応業務のために待機中の従業員は、雇用契約に基づく義務として、呼出しの電話があれば、少なくとも、その着信に遅滞なく気付いて応対し、緊急対応の要否及び内容を判断した上で、発信者に対して当面の対応を指示することが要求され、必要があれば更に看護等の業務に就くことも求められていたものと認められる。

  • 被告会社側は、No2の携帯電話もあったため、必ずしもNo1の電話所持者が対応する必要はなかったと主張する。しかし、被告会社内では飽くまでNo1の電話所持者が優先して対応するものと指示されていた。その上、No2の電話所持者が実際に緊急出動に従事した回数は1年10か月で2回で、当番以外の従業員を含めても3回に止まる。

  • 被告会社の緊急出動の頻度は、9.5日に一度程度、緊急看護対応業務の担当回数にして8回に1回程度。これらの頻度は実際に緊急出動が必要であった回数だけであり、実際には緊急出動に至らなくても相当の対応をすることが義務付けられていた。

  • 以上から、緊急看護対応業務の待機時間は労働時間となる。

管理者手当の固定残業代性

  • 雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われているものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断する。

  • 被告会社の労働条件通知書(雇入通知書)には、管理者手当を時間外労働等に対する対価として支払う旨の記載は一切ない。また、就業規則にも管理者手当の性質に関する記載はない。

  • したがって、管理者手当が割増賃金の趣旨で支払われたとは認められない。

  • 以上から、被告会社は管理者手当分も上乗せして原告に対し残業代を支払う必要がある。

判決に対するコメント

結論・理由付ともに賛成です。
従来の判例の基準を素直に当てはめたスタンダードで自然な判決内容だと感じました。
以下、緊急看護対応業務の待機時間の労働時間性と管理者手当の固定残業代性に分けてコメントします。

緊急看護対応業務の待機時間の労働時間性について

本件の裁判所は、本来の労働を行っていない不活動時間の該当性判断につき「労働者が不活動時間において使用者の指揮命令下に置かれていたものと評価ができるか否か」という観点から、「不活動時間であっても労働契約上の役務の提供が義務付けられていると評価される場合には、労働からの解放が保障されているとはいえないため労働時間に該当する」との基準を示しています。

この基準自体は、過去の最高裁判例(三菱重工長崎造船所事件・最小1平成12年3月9日判決、大星ビル管理事件・最小1平成14年2月28日判決)に沿ったものです。

その上で、本件の緊急看護対応業務については、

  • 呼出しへの応答の必要性が高いこと(呼出し理由が発熱、ベッドからの転倒、認知症患者の徘徊、呼吸の異変など命の危険もあるものであった。また、No1の電話所持者は遅滞なく着電に気付いて対応することが求められていた)

  • 業務自体の緊張度・緊急度が高いこと(呼出しの電話があれば直ちに駆けつけ、看護、救急車の手配、医師への連絡等の緊急対応を行う必要があった)

という点から、待機時間中は常時携帯電話の着電を意識するとともに、着電の場合には即時に対応できるよう準備しておくことが職責として求められていたといえます。

そうすると、本件はシステムメンテナンス事件のときと異なり、待機時間中は常に一定の精神の緊張状態を強いられていたことになるため、「労働からの解放」は保障されていなかったというべきです。

このように、今回のケースは高齢者を対象とする看護業務という業務の性質から求められる職務上の責任の重さが、労働時間性の認定につながったということができます。

そして、そのような裁判所の認定は訪問看護などの業務の実態に則したものとして妥当であると考えます。

管理者手当の固定残業代性について

本件の裁判所は、管理者手当が固定残業代として有効かを検討するに際し、

①雇用契約にかかる契約書等の記載内容
②労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明内容
③労働者の実際の労働時間等の勤務状況

などの諸事情を考慮して判断するとしました。

その上で、裁判所は、本件の管理者手当については労働条件通知書にも就業規則にも手当の性質や賃金全体の中での位置づけが記載されていないため固定残業代としての性質はないとしました。

この判断方法は、近時の最高裁判例である日本ケミカル事件(最小1平成30年7月19日判決)を踏まえたものであり、また、労働契約書等の記載を踏まえた適切なものであったと考えます。
個人的には、この例に限らず、特に就業規則に固定残業代の規定がない場合には、それだけで固定残業代の定めがないものとして扱ってよいのではないかと考えています。


なお、補足的な論点として、本件では被告会社が原告が管理監督者であるとの主張もしましたが、これはけんもほろろに一蹴されています。

ところで、被告会社は、自らの主張としては原告を管理監督者として扱い、そこでは労基法41条2号による労働時間規制の適用除外がある、つまり原告には深夜割増を除く残業代が発生しないのだと主張しています。

そうすると、被告会社としては、管理者手当は労働時間への対価ではなく、管理者としての職責への対価として支払っていた(=残業代としては支払っていなかった)としないと論理が一貫しないはずです。

すなわち、被告会社は、管理者手当が固定残業代性に該当するという可能性を自ら否定する結果を招いているといえます。

このように、安易に管理監督者の主張をしてしまうとかえって自らを不利にしてしまう可能性がありますので、使用者側の弁護を担当する場合には意識しておきたいところです。

最後に

以上、アルデバラン事件を取り上げました。

この裁判例を読んでつくづく感じたことは、「厚生労働省」とは実に大きな矛盾を宿命付けられている名称だということです。

すなわち、医療倫理やそこから導かれる医師の応召義務(医師法19条)からすれば、生命の危機が生じている患者に対しては最善の医療が提供されなければなりません。

他方で、医療を提供するのは人間である以上、スタッフの命と健康も守らなければなりません。
そのため、労働基準法32条の労働時間規制を安易に緩めるわけにもいきません。

このように、「厚生労働省」なる省庁は、患者と医療スタッフの命・健康を両立させなければならないという無理難題を背負わされています。
医療業界からすれば、厚生労働省の出す政策や通達がチグハグだといういう印象があるでしょうが、それは「厚生」と「労働」が呉越同舟していることから導かれる必然の結果なのかもしれません。

しかも、日本の社会保障は「国民皆保険」が制度化されているため、事業者側の経営判断で人件費を反映した価格決定をすることもできません。

限られた予算・限られた人員で何とか現場をやり繰りし、いざ、残業代請求を受ければ数百万から1000万円単位の残業代も負担しなければならないというわけで、事業者側は事業者側で過酷で不安定な立場に置かれています。

本来であれば、本当の意味でサービス利用者と医療・介護スタッフがwin-winの関係を構築するためには、スタッフの待遇を大幅に改善することしかないのかもしれません。

ただ、そのためには社会保険料の大幅増が必要となりますが、今の日本においてそのようなことが実現するとはちょっと想像がつきません。

そういうなかで事業者側ができることは限られていそうです。

それでも、業務量を制約する観点から「対応できる患者の数」「配置できる人員数」「提供できるサービス量」を定量化・可視化する、あるいは、定型作業は自動化する、事業所内のデータはクラウドサービスで一元化するなどすれば、多少なりとも過重労働を減らして残業代請求のリスクを下げることもできそうではあります。

医療・介護事業者においては、今回の事例を他山の石として、自らの事業の継続性のためにも業務量の削減のために知恵を絞ってほしいと考えた次第でした。


今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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