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「自社にパワハラはない」との訴訟は可能か?ー使用者によるパワハラ不存在確認訴訟を否定した事例ー【ユーコーコミュニティー従業員事件・横浜地裁相模原支部令和4年2月10日判決・労働判例1268号68頁】

勤務先でパワハラの被害を受けた労働者は、
使用者に対して慰謝料などの損害賠償を求める民事訴訟
を提起することができます。

それでは、会社側から
「自社にパワハラなどない」
として自らの法的責任を否定するための訴訟を提起することはできるでしょうか?

今回は、そのような普段とは異なる論点が問題となったケースとして
ユーコーコミュニティー従業員事件
(横浜地裁相模原支部令和4年2月10日判決・労働判例1268号68頁)
を取り上げます。

どのような事案だったか?

本件は、原告会社が、所属する被告労働者に対し、
「被告労働者の上司が平成31年4月に述べたとされる各種のパワハラ発言は存在しない」として、
「当該発言を理由とする損害賠償(慰謝料)債務が存在しないことの確認」
を求める訴訟を提起したという事案です。
これに対し、裁判所は原告会社の請求を却下(=門前払い)しました。

本件の事実経過

原告会社が否定したパワハラ発言は以下のとおりです。

  • 営業成績が3月良かったのは子どもができたせいだって疑っちゃいます

  • Cさんは子どもを望んでいなかった。君は嘘をついている。君は年齢を考えて結婚したいから妊娠させた。婚約中に振られる可能性があるから

  • 君は母子家庭で育ったから人格がおかしく育っていることもあるから研修に行けば治るよ

  • 子どもが可哀想

  • 幸せが半減した

  • 殴りたい気分だ

この発言に至ったとされる背景について、裁判所の認定事実の内容は極めて簡素です。
すなわち、裁判所は

  • 被告が加入する労働組合が、原告会社に対して、団体交渉に誠実に応じないことなどを理由とする不当労働行為救済命令を申し立てていること

  • 被告の上司Aが、被告労働者に対し、被告労働者がAのことをパワハラを行った者と名指しした行為が名誉毀損に当たるとして慰謝料請求訴訟を提起していること

だけを前提事実として摘示しました。

正直なところ、これだけの事実関係ではどのような事情があって今回の訴訟に至ったのか全く分かりません。

そこで、私なりに背景を推測しますと、今回の訴訟に至る経緯は

  • 被告労働者が所属する労働組合から原告会社に対して、会社から被告労働者に対するパワハラを理由とする団体交渉の申し入れがあった

  • これに対し、原告会社がパワハラを争い、交渉が平行線をたどった

  • そこで、原告会社側からパワハラとそれによる慰謝料債務の存在を争うため、本件訴訟を提起した

というものだったのかもしれません。

裁判所の判断

裁判所は以下の理由で原告会社の請求を却下しました。

  • 訴訟においては、その審理判断の対象が明確になるよう、請求の特定を要する(民事訴訟法133条2項、民事訴訟規則53条1項)。

  • 本件は債務不存在確認請求訴訟であるから、対象となる権利が債権(債務)である場合、原告は、請求の趣旨において、権利の主体、目的物及び権利の種類に加え、その発生原因事実を明記し、他の債務から識別して、その存否が確認しうる程度に特定の上で請求することを要する。

  • パワハラ等が不法行為に該当するか否かは、行われた日時場所、行為態様や行為者の職業上の地位、年齢、行為者と被害を訴えている者が担当する各職務の内容や性質、両者のそれまでの関係性等を請求原因事実として主張して当該行為を特定し、行為の存否やその違法性の有無等を検討することにより判断される

  • (本件の原告会社の請求については)発言時期、発言者、発言内容を記載しているようではあるものの、発言時期については・・・日時の記載はない。

  • 全く同じ発言内容であっても、日にち等が異なるという場合、それぞれ別の行為として不法行為(パワハラ等)該当性の判断をすることとなる。

  • (原告会社の請求には)発言者の氏名と発言内容が記載されているのみで、職務内容や地位、行為の態様等は全く不明である

  • したがって、原告会社の請求は他の債務から識別して、その存否が確認しうる程度に特定されているとはいえない。

判決に対するコメント

判決の結論は妥当であったと考えます。

まず、今回の裁判所が示した「却下」という判決ですが、これは
主張の中身を検討するまでもなく訴えを門前払いする
というものです。

このような、ある意味で乱暴に映るような制度が存在するのは、次のような理由があるからです。
すなわち、民事訴訟は、民間の紛争を裁判所で解決する手続ですが、なかには

  • 明らかに無意味な訴え

  • 裁判では解決不可能な訴え

があります。
そういう訴訟でも裁判所が無制限に処理をしなければならないとすると、
裁判所の機能がパンクしてしまい、本当に救済が必要な人の裁判を受ける権利を侵害する結果になります。

そこで、裁判所は解決が必要な紛争とそうでないものを一定の基準で振り分け、後者のカテゴリーに入ったものの審理を拒否することとしています。
これが、却下判決が存在する理由です。

今回の事件に戻りますと、裁判所は原告が提起した

  • パワハラによる損害賠償(慰謝料)債務が存在しないことの確認を求める訴え

を却下しました。

その理由は、
「原告会社が問題としているパワハラの中身があやふやだから」
という点にあります。

今回対象となったパワハラによる損害賠償請求権は、いったん権利として成立すると請求者側は強制執行などの方法を通じてその権利を実現することができます。
これは、請求を受ける側としては極めて大きな負担です。

そこで、一般にパワハラによる損害賠償請求訴訟をする場合には、そのパワハラの中身を5W1Hをもって特定して請求しなければなりません。

実際、今回の裁判所はパワハラによる慰謝料請求をする場合には

  • パワハラの日時・場所

  • 行為態様

  • 行為者の職業上の地位

  • 行為者の年齢

  • 当事者の職務の内容・性質

  • 当事者のそれまでの関係性

など実に多様な要素を特定して主張しなければならないとしています。

このように、パワハラによる損害賠償請求訴訟では、パワハラの内容を非常に細かく特定することを求められるのですが、それは
「なんとなく気分が悪くなるようなことをされた」
という程度の理由で訴訟を起こされると、請求される側としても何をどう否定すればよいのか分からず困ってしまう
からです。

そして、請求をする側にパワハラのエピソードを特定するという負担を求めることとの均衡からすると、予めパワハラによる請求を否定したい側にも同様に問題とするパワハラのエピソードを特定させるのが公平です。

なぜなら、仮に「とにかく自社にパワハラはなかった」という程度の主張でパワハラの法的責任を否定するような訴訟を許してしまうと、損害賠償を請求する側としては、
とにかく会社に所属していた期間について想定される全てのパワハラをその訴訟手続内で主張しておかないと後に損害賠償請求ができなくなってしまう
という極めて大きな負担と不利益を被ることになるからです。

そういう意味から、原告会社のパワハラに対する法的責任を否定する前提として、同社にパワハラのエピソードを5W1Hで特定させることを求めた裁判所の判断は適切であったと考えます。

最後に

以上、ユーコーコミュニティー従業員事件を取り上げました。
今回は結論として原告会社からの請求は却下されました。
しかし、もし今回のような請求が認められていたとしたらどうなっていたでしょうか。

その場合、労働者としては、
敗訴により会社に対する損害賠償請求権を失ってしまうリスク
を抱えてしまうことになります。

そうすると、労働者側としては、そのようなリスクを回避するため、
十分な証拠の吟味ができないまま、やぶれかぶれに会社に対する損害賠償請求を提起せざるを得なくなりかねません。

その結果、もう少し時間をかけて証拠の内容を厳選していればパワハラの認定を得られたというケースでも、パワハラがなかったことにされてしまうということもないとはいえません。

今回の原告会社にそのような意図があったという話ではないですが、
今回の事件をみてそのような「悪だくみ」を考える企業が出てこないか、
少し警戒しておく必要があると感じた次第でした。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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