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業務の属人化が招く「職場のメンタルヘルス」の危険【新潟市事件・新潟地裁令和4年11月24日判決・労経速2521号3頁】

今日、職場におけるメンタルヘルスは当たり前のものとなっており、かつ、企業の労務管理にとって最も負担のかかる問題の1つとなっています。

すなわち、職場のメンタルヘルスが生じた場合、そのメンタルヘルスの原因が業務によらない場合でも、使用者は休職命令などを通じて症状を経過観察したり、復職時には試し出勤や復職後の配属先につき検討をしたりする必要が生じます。

ましてや、メンタルヘルスの原因が業務に起因するものとなった場合、使用者は原則として休業中の労働者を解雇できなくなります(労働基準法19条1項)。
しかも、使用者は、業務上のメンタルヘルスを発症させたことに対する安全配慮義務(労働契約法5条)違反に基づく高額の民事損害賠償責任の追及も受けることになります。

このように、職場のメンタルヘルスが起きた場合、使用者は多額の損失や社会評価上のリスクを負うにもかかわらず、新規労働者の補充に支障を来すという事態になります。

そのため、使用者としては職場のメンタルヘルスを生じさせないよう、部下への指導方法や報告・連絡・相談をしやすい職場環境を構築する努力をすることが求められます。

今回は、そのような事前の使用者における職場環境整備の重要性を示す裁判例として、新潟市事件(新潟地裁令和4年11月24日判決・労経速2521号3頁)を紹介したいと思います。


どのような事件だったか

本件は、新潟市の水道局の中堅職員として勤務していた職員Aが自殺したところ、その自殺の原因が上司B係長などの指導の不適切さや業務に対するサポート不足にあることなどにあるとして、その妻子が被告(新潟市)に対して安全配慮義務違反による債務不履行責任に基づき合計約8000万円の損害賠償請求をした事件です。
裁判所は原告らの請求を一部認容しました(50%の過失相殺減額あり)。

事案の概要

裁判所が認定した事実の概要は以下のとおりです。

  • 職員Aは、平成2年4月、被告より水道局に技手として採用される。以降の職歴は次のとおり

    • 平成6年4月 維持管理課に異動

    • 平成10年4月 浄水課に異動

    • 平成16年4月 維持管理課維持計画係に異動

    • 平成17年4月 副主査に昇任

    • 平成19年4月 主査に昇任。水道局の組織改編に伴って管理課給配水係所属となる。

  • 平成18年4月から平成19年4月までのAの時間外勤務時間は、平均7時間で最も多い月でも24時間。

  • Bは、平成17年4月、係長として当時Aが所属していた維持計画係に着任し、以降、Aの死亡時までAの直属の上司であった。

  • B係長は、同僚や部下に対し、仕事上、厳しい対応や頑なな対応を行う傾向があり、時折、強い口調で発言することがあった。そして、Aは、B係長から注意や叱責を受けて萎縮することが多く、特に、平成18年以降はB係長と接することが苦痛に感じるようになった。

  • B係長が所属する係内では、職員の誰かが他の職員に対して業務に関する質問をするような雰囲気が余りなく、係内での会話が少なくて係内での挨拶も余りされず、緊張感のある雰囲気があった。係外の職員の中には、あまり係の雰囲気が良くない、係に元気がないなどと感じていた者も少なくなかった。

  • 水道局においては、給水装置の修繕工事当の価格や工事等の事故の賠償額の算定について、内部での算定基準として価格表等を設け、定期的に改定を行っていた。この改定業務は、平成18年度以前は現場作業を行う工事事務所等の部署が行っていたが、平成19年4月に組織改編が行われたことに伴い全て給配水係が担当することとなった。

  • B係長は、平成19年3月頃、Aを含む3名に対し単価表等の改定業務を命じた。このときまで、Aは当該改定業務に従事した経験はなく、また、改定業務に関する事務処理要領等(マニュアル類)も存在しなかった。

  • 単価表等については、その電子データがエクセルファイルで保存されていた。エクセルデータのシート数は比較的多く、また、シート間の関係も比較的複雑であることに加えて、新たな工種を追加したり既存の工種の計算内容を変更したりする場合にはどのような作業や材料が必要になるかを考えて行う必要があるため、当該業務を初めて担当する職員にとって比較的難しい部類の業務であり、特に、現場の修繕業務の経験がない職員には困難な面があると認識されていた。

  • 過去に改定業務に従事した経験のないものが新たに従事する場合には、まず、前任者と新担当者が顔を合せて数時間ないし半日程度の引継を行い、その後は、エクセルファイルのデータを実際に操作して業務を行ってみて、分からない点があればその都度、基本的には前担当者に対し、場合によっては当該業務の経験がある他の職員に対して疑問点を質問して次第に業務に慣れていくという形態が一般的であった。

  • Aは、当該改定業務に対応できるだけの能力や経験はなかった。しかし、平成19年4月以降、Aが改定業務の処理方法等について前担当者のHに直接質問をしたり、指導を仰いだりすることはなかった。

  • Aは、平成19年4月末頃までに終わらせるべき新たな工種の追加等の業務を終わらせられないことに悩んでおり、5月の連休明け頃になっても業務が完了していないことについてB係長から叱責されることなどを恐れていた。

  • 平成19年5月8日午前8時頃、Aは職場への出勤途中に飛び降り自殺をした。

  • 原告(Aの妻)は、Aの自殺について平成19年10月10日、公務災害認定申請を行った。しかし、地方公務員災害補償基金新潟支部は平成21年1月19日、Aの自殺が公務外の災害である旨の認定をした。

  • A妻は、基金支部の認定を不服として、地方公務員災害補償基金新潟支部審査会に対して審査請求を行ったところ、同審査会は平成23年11月7日、基金支部の認定を覆し、Aの自殺が公務上の災害である旨の裁決をした。

裁判所の判断

裁判所は以下の点を述べて、被告の安全配慮義務を認める一方、Aに対する50%の過失相殺を行いました。

  • 上述の事実関係からすれば、「平成19年4月当時、B係長には、自分自身のAを含む他の職員に対する接し方が係り内の雰囲気に及ぼす影響や、Aとの人間関係の悪化による悪影響によって、Aが係内で発言しにくくなり、他の係職員に対し業務に関する質問をしにくくなっている給配水係内のコミュニケーション上の問題を踏まえて、初めて担当するAにとって比較的難しい業務であった修繕単価表の改定業務に関し、①Aによる業務の進捗状況を積極的に確認し、進捗が思わしくない部分についてはB係長・・・が必要な指導を行う機会を設けるか、又は、②B係長において部下への接し方を改善して給配水係内のコミュニケーションを活性化させ、AがB係長・・・に対して積極的に質問しやすい環境を構築すべき注意義務があった」

  • しかし、「B係長はこれらの措置を何ら実施していなかったものと認めることができるから・・・本件では、上記の注意義務に違反した過失があったものというべきであり・・・これによりAがその遺書・・・に記載されたような心境に陥って自殺するに至ったものと認めるのが相当である。」

  • もっとも、「Aにおいても、・・・自殺するに至る過程において、水道局の中堅職員として自らの苦境を解消するために可能であると考えられる対応を十分に採らなかったものと認めることができるから、その点に関して過失相殺を免れることはできないところ、その割合は、本件における一切の事情を考慮して、5割と評価することが相当である」

判決に対するコメント

安全配慮義務違反を認めた結論には賛成しますが、理由付けに違和感を感じました。
以下、「安全配慮義務違反の内容」、「過失相殺の適用の有無及びその割合」について私の感じた点を述べます。

安全配慮義務違反の有無について

今回の判決は、被告の安全配慮義務の内容について、

  • Aによる業務の進捗状況を積極的に確認し、進捗が思わしくない部分についてはB係長・・・が必要な指導を行う機会を設ける

  • B係長において部下への接し方を改善して給配水係内のコミュニケーションを活性化させ、AがB係長・・・に対して積極的に質問しやすい環境を構築する

という2点について、Aに対する安全配慮義務を怠ったとしました。
すなわち、裁判所は主にB係長という個人が部下への指導や管理を怠った点に同義務違反を認めています。

この点、確かに、B係長は同僚や部下に対して厳しい姿勢の性格があったのかもしれません。

しかしながら、他方で、B係長の同僚や部下に対する態度が職務上の必要性の限度を超えた違法なパワハラと認定できるレベルのものだったのかというと、どうもそういう認定ではないようです。
というのも、そのような違法なパワハラの存在が認定できるのであれば、最初からBのパワハラを制止できなかった点に安全配慮義務を認めれば良いからです。

そのため、本件では、少なくとも判決から読み取れるレベルでは、B係長は一般的なイメージの「厳しい上司」レベルの範囲内に収まる言動しかなかったということになりそうです。

そうすると、B係内においては、仮に緊張感があって職員同士が相談しにくい雰囲気があり、そのことがAの自殺を誘引したとしても、職員同士の相談を禁止しているような極端に理不尽な命令を下しているのでなければ、その雰囲気をもって損害賠償の対象となるような違法な安全配慮義務違反状態とするのは無理があるように感じます。

他方で、被告のAに対する安全配慮義務違反を一切否定することもできないと考えます。

すなわち、本件では、単価表の改定業務をエクセルファイルで管理していたところ、そのエクセルはシート数も多く、シート間の計算も複雑になっていたということから、初めて担当する者にとっては困難を覚える類の業務になっていたと認定されています。

それにもかかわらず、当該改定業務については専用の業務マニュアルや体系的な教育・研修体制も設けられないまま、前任と後任の担当者同士のコミュニケーションだけで引継ぎを行うものとされていました。

このように、被告は、改定業務に対する引継方法について何ら体系的な教育の仕組みを構築しないまま組織改編を断行したことから、経験の不十分な給配水係のAに業務の負担が集中し、Aが容易に他者に頼れない性格であることも相まって今回の悲劇を生じさせたものと考えます。

そうすると、今回の安全配慮義務及び同義務違反は、未経験者にとって大きな困難を生じさせるほどに極度な属人化を招いていた単価表の改定業務について、遅くとも組織再編時までにはその状況を把握可能な状況にありながら、同業務についての引継マニュアルや体系だった教育・研修制度の整備等の改善策を講じることなくAに「丸投げ」し、その後も組織的な進捗状況のチェックとフォローを行わなかったという点にこそ求められるべきであったと考えられます。

過失相殺の適用の有無及びその割合について

今回の判決では、Aの方にも

  • 水道局の中堅職員として自らの苦境を解消するために可能であると考えられる対応を十分に採らなかった

という点に過失があったとして、50%の過失割合に基づく賠償額の減額がされています。

この点、確かに、本件の安全配慮義務違反の内容は組織として機能不全な部分があり、職員のメンタルヘルスを招く危険があるものだったとは考えられます。
もっとも、その場合でも、通常の場合であれば、まずある程度の期間にわたっての不眠・不安・抑うつ状態が続いた後、自殺に至るという経過をたどることが多いのではないかと思われます。

これに対し、本件の場合、平成19年4月におけるAへの単価表の改定業務の「丸投げ」があってからAが自殺に至るまで1か月強の期間しかありません。そして、今回の程度の安全配慮義務違反からその短期間で自殺まで生じさせるというのにはやや突飛な面があることは否定できないように感じます。

そのため、当該「丸投げ」に自殺の原因を帰責させる場合、Aの性格的な要因も過失相殺の形で考慮することはやむを得ないものであると思われました。

したがって、減額の割合はともかく、Aの性格的な要因を過失相殺の形で考慮した点は妥当だったと考えます。

最後に

以上、新潟市事件について取り上げました。

今回の裁判例から学べる一番の教訓は、「業務の属人化が職員のメンタルヘルスを招く」という点にあります。

今回の事例では、長年にわたり改定業務に担当してきた職員たちが独自にエクセルの記入事項を継ぎ足していった結果、業務内容の極度の属人化による引継の困難を生じ、その上に組織再編によって担当部署が変わったことで特定の職員に業務の負担を集中させることになりました。

そのような事態を避けるためには、月並みではありますが、定期的に業務の内容を整理してマニュアルを作成したり、場合によっては専用のシステムを導入するなどして業務内容の標準化や簡素化に努めることが求められます。

もちろん、そのような対応をすること自体、ある程度の時間と金銭的な負担が生じてしまうところです。
しかし、それを理由に業務の標準化や簡素化を怠ると、今回と同様、「職場のメンタルヘルス」による安全配慮義務違反に基づく高額の損害賠償責任という遙かに時間と金銭的負担の大きなリスクを抱えてしまうなります。
それを考えれば、やはり多少の時間とお金がかかったとしても、業務の標準化と簡素化の努力は普段から行っておく必要があります。

私自身、属人化しやすい弁護士業務の内容を言語化してスタッフと共有することの大切さを痛感した次第でした。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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