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フュージョン以前のボブジェイムズ

ボブジェイムズというとフュージョンの代表的なミュージシャン、CTIのアレンジャー、フォープレイのメンバーの1人ヒップホップやクラブカルチャーに多くの影響を与えた人物、薄っぺらい、商業主義者…等様々な言われ方をされますがいずれもフュージョン時代を指していると言って良いでしょう。一方でそれ以前について触れている人物はあまりいません。そこで今回はデビューからCTIからアルバムを出すまでを紹介し、CTIからの4枚をいつもの一枚のアルバムを1ページのスタイルで紹介していきます。

ボブジェイムズは1939年生まれで同い年のミュージシャンには同じくフュージョン界が活躍したキーボード奏者のジョーサンプルがいます。幼い頃から音楽に親しみ高い才能を持っていたようです。それは大学で学士と修士号を取ったのちにバークリーに進んだことからも伺えます。転機となったのは1962年ノートルダムジャズフェスティバルで開かれた学生が対象のコンテスト。そこで優勝するとクインシージョーンズにその才能を見出されました。

アルバム1

1963年発表。クインシーが気に入ったということで彼が重役を務めていたエマーシーからのリリース。リリカルな演奏やアドリブの挟み方はビルエヴァンスを思わせます。フリー系のポールブレイもファンキーなジョーザヴィヌルも個性が完成される前のストレートアヘッドなジャズをしていた時代はビルエヴァンスに似た演奏をしているのでこの時期の白人ピアニストにとってビルエヴァンスは良くも悪くも影響を受ける存在だったのでしょう。ただピアノトリオでジャズクラブを回る旅をするのは理想とは違うと考えトランペット奏者のメイナードファーガソンと仕事をするようになります。

参考アルバム2

セカンドアルバムはアルバートアイラー等が吹き込んだことで有名なフリージャズ、前衛音楽レーベルのESPディスクからのリリース。ピアノの中の弦を引っ掻いたような音や謎の電子音(またはテープ編集)等かなりエグいフリージャズを披露しています。ここで電子音やSE等への柔軟な姿勢を身につけたことは想像に難くないです。ただ本人はこれはジャズとして作ったのではないといっています。この発言はフュージョン時代にも似たようなことを言っているのでボブのモットーなのかもしれません。

同じ頃サラヴォーンのバックバンドにも4年半参加。こちらはこの時期のオーソドックスなエンタメ色の強いジャズサウンド。サラヴォーンはエマーシーの所属。偶然なのか縁があったのかはわかりません。ただ同じ会社に所属しているメンバーで固めた方が契約のややこしい話は少なくて楽そうです。そのあとは4本の劇のスコアを作成。個人的には映画音楽的な要素もあると感じていましたがそれに近い仕事をしていたのは驚きです。それと同時にロバータフラック、ディオンヌワーウィック、アリサフランクリンといったシンガーのアレンジャーとしても働いていたそうです。ただDiscogsをみた限りではディオンヌ以外は確認できませんでした。

 表に名前の出ない仕事が続いていましたがクインシージョーンズがCTIレコードからアルバムを製作する際にキーボード奏者としてボブジェイムズを起用。それと同時にプロデューサーであるクリードテイラーに推薦。これによってアレンジャー、バンドメンバーとして名前の露出が今までとは比べられないくらい増えます。ボブはOneのライナーノーツでクインシーは直接的にも間接的にも自分にとって良いことに関わっている。友人同士でとても感謝していると書いています。おそらくデビューと推薦のことを指していると思います。
 また、CTIにとってもいままでのアレンジャーであるドンセベスキーやクラウスオガーマンはクラシカルなストリングスやホーンアレンジがメインでありジャズ風のホーンアレンジやソウル的なアレンジは単発のアレンジャーに頼ったものがほとんどなので引き出しが多いうえにほとんど無名なおかげで自社でほぼ独占できるボブは求めるものを全て兼ね備えていたと言えます。余談ですがCTI契約後は社外でのセッションミュージシャン的な活動は少ないうえにボビージェイムズと微妙に名前を変えています。契約の関係でしょうか。アレンジャーとミュージシャンではそこら辺違いがありそうです。

これ以降の活動は有名で他の方も紹介しているのでここら辺にしておきます。

参考文献
Wikipedia 日本語版、英語版
Discogs
各種ライナーノーツ
特にDiscogsとOne付属のライナーノーツを特に参考にしました。

ソロアルバムはこちらから。4と番外編までは毎日投稿していきます。