面白い発見(視覚&触覚&自然体の力)

昨日、臨床中に偶然面白い発見をしましたので記載させて頂こうと思います(・∀・)

それは要点だけを簡潔に書くと眼鏡を外して施術を行ってみたところ(裸眼視力0.03程度)、手の感覚が明らかに向上したと言うものです。

これだけですと何じゃそれ?とよく分からない話で終わってしまうので、何故そうなるのかの考察も含めてしっかり書かせて頂きたいと思います。


逆説的な話からになりますが、僕が鍼灸科学生の時の学術大会で<鍼を打つ際に目を瞑って行うことによりどの程度感覚が鋭敏になるのか>と言う実験を母校が発表していたのですが、その結果は鋭敏になると思い込んでいるだけで実際には<差異は認められない>と言うものでした。


その実験結果と今回の僕の状況と何が違うのか考察してみたところ、一番可能性が高いのは何も考えず<自然体で施術していたこと>ではないかと思い至りました。


JIDAIさんの本や甲野善紀先生の著書(古の武術に学ぶ無意識のちから)等を読まれた方には理解出来る内容だと思うのですが、自分の主体的な意識が介入した時点で身体の持つ本来のパフォーマンスは発揮出来ず、自然体・無意識下での行動をする(身体に委ねた動きをする)ことによって、意のままの動きではなくそれを越えた動きが出来ることがあり、今回の感覚鋭敏化もそれの一種だと考える訳です。


施術の際、僕は視力がかなり悪いので周りの殆どのものがボヤケてハッキリ見えておりませんでしたが、それを受け入れ<見ようとはせずに見えているだけの状態>で施術していた為、身体が余ったメモリ分無意識にそれを補う為に他の必要な感覚(触圧覚)を平常時より鋭敏にしてくれたのでは無いかと思うのです。

※<見よう・感じよう>等と意識してはいけない


それとこの話の延長になり、眼鏡を外して暫くして気付いてたのですが①いつもより身体の疲れを感じない②再び眼鏡をかけた際に見えすぎて少ししんどいと言う感覚(矯正後0.7-1.0程度)がありました。


①のいつもより身体の疲れを感じなかったのは、恐らく脳に入る情報の8割を占めると言う視覚情報の量と質がガクッと下がり、脳の負担が減った分身体の疲労感が少なくなった為だと思います。

※その結果として、上記のように手の触圧覚が鋭敏化する余地があり(集中力が一時的に上がったとも言える)、余計な思考で脳のメモリを使った場合は効果無いと考える訳です。

以前東日本大震災の際に、何故かピントのあまり合わない眼鏡をしている方は毎日の震災のニュースを見ていても精神を病む割合が少なかったと言うデータを見たことがありましたが、脳のメモリに余裕がある分だけ負担が少なかったのかも知れません。


続いて②に関連する話になりますが、個人的に現代人の何もしていないのに疲れている・休んでも疲れがとれないと言う症状の大半は脳疲労・運動不足にあるのではないかと思っております。

現代では精神的なストレスは勿論、スマホやPCが発達したお陰で脳に入力される情報量が昔よりも圧倒的に増加しており、それから離れたところで街に出れば公共機関にも建物の中にも至るところに広告が貼ってあり、我々に無意識の内に意思決定をさせ脳の疲労を加速させて行きます。

著名な方ではスティーブ・ジョブズはそのような意思決定からくる疲れを軽減するために毎日同じ服を着て居たと言われておりましたが、これも上記の自然体の話と同様で形だけを真似して<自分も疲れを取るため我慢して同じ服を暫く来てみよう>と言う脳の選択が入ってしまうと効果が出ないのではないかなと思います。


折角なので眼鏡の適切な矯正度合いの話も書かせて頂きますと、健全な身体を維持するためには遠方がよく見える矯正ではなく、<正視眼の調節安静位に相当する1m付近が最も快適に見える矯正>が一番重要だそうです。

調節安静位より近位を見る時は副交感神経優位、遠位を見る時は交感神経優位になるのですが、眼鏡による過矯正で何処を見るにも副交感神経優位になる状態を作ってしまうと、眼鏡を変えてから3-6ヶ月後辺りから自律神経失調症やそれからの鬱を発症する方がいらっしゃるようです。

現代は昔と違い手元を見ているのに交感神経を働かして仕事しないといけないと言う目には矛盾する状況になっておりますので、交感・副交感神経の切り替えが上手くいかず疲れが取れなくなってしまう訳です。

なので遠くを見る・他の五感を刺激する・運動をするの全てが達成出来るアウトドア等をすると、身体は疲れる筈なのに不思議とスッキリして元気になってくる筈です(๑•﹏•)b


今回のまとめとしましては…

☆視覚情報を制限すると、余ったメモリで脳は他の必要な感覚を鋭敏化させる

☆脳のメモリに余裕さえ作れるなら制限するのは視覚情報である必要は無い(瞑想等でもOK)

☆やはり何をする(メモリを余らせると言う目的)にも自然体が重要である


だらだら思い付くまま書いてみましたが、まとめてみると当たり前の事のような気がしますね(笑)


今回はこんな感じですが、自分の一つの目標として<不器用を治すプロジェクト>みたいなのをしてみたいと思っているので、いつかそんなまとめ記事を書けたら良いなと思っております(*´ω`*)


※追記として、後日に眼鏡をかけていても眼球周りの空間が広くなった意識を持つことで同じような状態になれることに気付きました。
文書にするとお伝えするのが難しい…。

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