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森のガイド・横山昌太郎さんインタビュー前編 ~お金への疑問と、本当にやりたいこと

どこに住むか。
誰と暮らすか。
何を仕事にして生きていくか。

そんな人生の岐路に立つ「迷える30代」によるインタビューシリーズ。

筆者が2019年から住む香川県三豊(みとよ)市を中心に、いろんな生き方をしている人たちの、それぞれの思いを聴いていきます。

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横山昌太郎さんは三重県出身。環境省のレンジャー(自然保護管)、長野県・軽井沢のエコツアーガイドとして働いた後、2017年に香川県へ移住。現在は森、鳥、星といったテーマで、自然と親しむきっかけづくりに取り組んでいます。

お金、自然、生きる意味・・・。それらに深い思索を巡らせる横山さん。前編では、彼のこれまでの歩みを伺いました。

稼ぐために就職

ー現在、エコツアーガイドのお仕事をされていますが、自然に関心を抱いたきっかけを教えて下さい。

両親が釣りやキャンプが好きで、子ども時代、アウトドアによく連れていってもらってました。

また、私が育った四日市市は、「四日市ぜんそく」の歴史があり、公害教育に力を入れていました。これらの影響があると思います。

公害対策を学ぼうと、大学では工学部に進学。ただ、教養課程で「林学」という学問に出会って、もともと好きだった森について勉強したくなり、農学部林学科に転学しました。

当時、「自分は企業勤めに向いてない」と感じていたので、ゆくゆくは研究者になりたいと考えていました。

ただ、私は高校時代に母を亡くし、大学院修士へ入る前に父を亡くしました。そのため経済的にとても苦しく、研究の傍ら、アルバイト漬けの日々が続きました。

結局、博士課程の1年次で中退。「とりあえず稼がなければ」ということで、環境省に就職しました。

もっとも、公務員になった背景には、両親の不幸な死や、公害問題への意識から「より良い社会をつくりたい」という気持ちもありました。

法で縛ることへの疑念

ー環境省から、今の仕事にいたる経緯を教えてください。

環境省には9年間勤めましたが、激務で心身ともに摩耗する日々が続きました。

さらに私が疑問に感じたのが、「法で人を縛ることが、本当に自分のやりたいことなのか?」ということです。

入省まもなく、研修で富士山を訪れた時のことです。

富士山では「ゴミのポイ捨て禁止」への理解が進んでいたので、登山道にはほとんどゴミがありませんでした。でも、公衆トイレにはゴミがうず高く積み上げられており、ショックを受けました。

登山道ではゴミを捨てないのに、ゴミ箱もないトイレ横に捨ててしまう人は、結局、「環境を守る」ではなく、「捨てたら怒られる」という意識でいるのではないか。

だから、誰かが捨てたゴミを見て、「自分も捨てていいだろう」と思ってしまう。ゴミの運搬や処理といった、その後のことまで想像せずに。そう感じました。

「規制する・罰する」という手法は、もちろん一定の効果はあります。

でも、こうした経験から、「法で強制するのではなく、自然を心から好きになってもらわなければ、根本的な問題解決はできない」と感じるようになりました。

今死ぬとしたら、何がしたいか?

環境省を退職後、縁あって長野県でエコツアーガイドをすることになりました。ここでは、森林保全や売上向上の新規事業にも取り組みました。

ただ、公務員と異なり、企業ではまず稼ぐことが求められます。そうした中で、「これが自分のやりたいことなのか」という疑問が、また湧いてきました。

また、同じようなガイドを毎日続ける中で、慣れや飽きからツアーに心が込められなくなってきていることも感じました。

そうこうするうちに、自分は45歳になろうとしてました。これは、母が亡くなった歳です。

「母はこの歳で死んだ。でも、自分はまだ生きている。残りの人生、何をしてもよいとしたら、何がしたいか?」

そう考えた時、率直に思ったのが、「一度でいいから、何も気にせず思いきり休んでみたい」ということでした。

学生時代はアルバイトに明け暮れ、社会人になっても仕事に追われる日々に疲れ切ってました。人生で一度でいいから、たっぷり休んでみたかった。

退職後は、休みの期間を経て、前職の縁で香川県三豊市で仕事をすることになりました。それ以降、香川県を中心に、エコツアーガイドやゲストハウス管理などに携わっています。

どこまでいっても結局お金?

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(写真:森歩きに関するレクチャーをする横山さん)

私の両親は、ずっと真面目に働いていたにも関わらず、お金に苦労しながら亡くなりました。

お金がないと、幸せになれないのか。

いったいお金とは、何なのか。

国や企業に雇われる生活を辞めてから、考える機会が増えました。

お金に関して勉強する中で分かってきたのは、現在のお金には実体がないということです。皆が「お札や硬貨に価値がある」と思っているから使える、つまり「共同幻想」なのです。

「共同幻想」と言っても、もちろん、現代社会ではお金なしに生きていくことはほぼ不可能です。ただ、お金について学ぶ中で、

「生きるのに必要な最低金額のお金を割り出せれば、もっと自由に生きられるのではないか」

と思うようになりました。

「あればあるほどいい」ではなく、「本当に必要なのはいくらか」を考えてライフスタイルや仕事を決める。つまり、そういうことです。

私は独身で、職場であるゲストハウスに住みこんでいます(※)。それだと1ヶ月に15万円あれば生きていける。そのプラスアルファ程度を稼げば、それ以上は無理をしなくていいのではないか。

もちろん、将来や不測の事態への不安はあります。また、人それぞれで事情も価値観も異なるから、こうした考えが万人に正しいというつもりはありません。

ただ、「将来のために今を我慢する」のではなく、今の自分を生かしながら社会にも役立つ。そんな生き方を、私自身はしていきたいと思っています。

※2020年1月の取材時。現在は引っ越しています。

無理に稼がず余裕を持つ

長野の仕事を辞める時は、とにかく休むことを切望していました。

でも今は、組織から言われてやる仕事ではなく、自分がやりたい仕事(草刈り作業などを含め)をメインにしているので、以前ほど「休みたい」と感じることはなくなりました。稼ぐお金を少なくした分、時間の余裕ができたためもありますが。

なお、長野の仕事を辞めた後、休んだ期間はほぼ1年間でしたが、正直なところ、2ヶ月もしたら飽きました(笑)。

自分がやりたいことを通して、社会や環境に貢献したい。その思いは、公務員を目指した時から変わっていない。

休暇中、そうした気持ちを再確認することができました。


後編はこちらです!

以下の記事も併せて読むと、横山さんのお考えにより深く触れられます。


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