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ヒトが大人になる瞬間

「生まれたくって、生まれてきたわけじゃないやい」

子ども時代、親から怒られた際に、こんなふうに思った人は一定数いるのではないかと思う。

実際、「誕生」というのは、ひどく受動的な行為だ。

知らない間に、母の体のなかで発生して、気づいたら世の中に存在させられていた。

親も、自分の周りの環境も選べない。自分がどんな資質を持って生まれてくるかも選べない。

そんなのが、現実だと思う。

(中には、「子どもは親を選んで生まれてくる」という人もいるだろう。でも、僕はいまだにそれを信じることができない)

僕の場合、20代の半ばまで「自分は生まれたかったわけじゃないのに、なんでこんな世の中に生まれてしまったのだろう」という思いを抱えていた。

もともとHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン、繊細さん)的な気質があったのだろう。

子どものときから、他人や他の生き物が傷つくのを見るのが、すごく苦しかった。

また、生きている限り、自分も、他人や他の生き物を傷つけざるをえない。

そんな矛盾した世の中に生きるのが苦しく、大学時代は、ちょっとした社会運動に参加しては挫折して、ということを繰り返した。

ただ、27歳のときに、ある出来事があり、「自分は、生きたくって生きているんだ」と感じられるようになった。

そう、今生きているのは、自分のエゴなのだ。だから、ちゃんと自分の人生を歩もう。

他人を傷つける痛みも、引き受けて生きていこう。

そう、自分の"全存在をかけた内面の声”が聞こえたような瞬間があった。

思い返してみると、あれが自分が「大人」になった瞬間だったのだろう。

その後、仏教の禅宗に関心を持つようになり、臨済の「随処作主 立処皆真」(随処において主となれば、立つところ皆真なり)という言葉を知った。

そう、自分が、自分の人生の主(あるじ)として生きること。それが、大人になるということなのだ。

この年末、仕事ではなかなかハードな状況が続いた。

来年以降も、人生に関わるような決断が必要となるだろう。

今朝、年末の大掃除をしながら、ぼんやりと今年あった大変なことを思い返していた。

その中で、ふと、昔の記憶が蘇ってきて、「ああ、そうだったのだ」と合点がいった。

強く生きていこう、と思った。


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