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13月の風が吹いた

こんにちは、はしもとです。寝れないので夜と朝のあいだを見つけながらこの文を書いています。

音楽と文学と映画

引きこもりが好きそうなこの3つの世界。僕も大好きな世界。中学から現在までこの3つは複雑に絡まり合いながら自分という存在を確立してきたと思う。時にはアイデンティティを喪失しながら。僕の場合は音楽から始まった。音楽の世界と深く関係を持てば持つほど文学の世界に出会い、本を読めば読むほど映画と出会った。その逆も沢山あった。なんでかわからないけど僕が好きなものは全部繋がってた。ビートルズと伊坂幸太郎とか。峯田和伸と宮沢賢治とか。

音楽と文学

好きになったバンドを聴いていると、美しいな。とか、どういう意味なんだろうって思う歌詞と出会うことが多くある。そういう歌詞に出会うたび、彼らが全員そうとは言いきれないが少なくとも何人かは文学の影響を受けていると感じる。

僕は小学生の頃から父親に本を読めと耳にタコができるくらい言われてた。でもコロコロコミックの方が好きだったから読書感想文の課題図書すら最後まで読んだ試しがなかった。でも中学生になった時に朝の読書時間がきっかけで小説に興味を持つようになった。次第と読書量も増えてきた。父親と本屋に行くとまだ読み終わってもないのに、必ず本を買ってくれたのもあったかもしれないが。聴く音楽の幅が広がると同時に文学の世界への階段も徐々にではあるが伸びていた気がする。もっと早く出会えてればと思うからやはり父親の言ってたことは本当なんだろうな。

13月の風が吹いた、とか。思い出は熱いトタン屋根の上、とか。凍りついた月が香る、とか。感情の海を掻き分けて愛憎の海を泳いでいる、とか。美しいものに出会うとなんでこんな詩がかけるのだろうと思って、その人が受けた影響を遡る癖が僕にはあって。遡ると必ず文学や映画がそこにはあって。同じ影響を受けると自分も美しくなれると思ってたけど、どうも上手くいかないなあ。

でも、好きなバンドの歌詞に好きな本や映画のタイトルとかが出てくると嬉しい気持ちになることがあって。この人も同じ文読んで、同じ映画見てたんだなあって思うと幸せになることがあって。好きな人と同じバンドが被ったら嬉しい気持ちと一緒だと思う。

文学と映画

これは分かりやすくて、小説が映画化されるということがよくある。でも僕はそういう流れがあまり好きではない。小説って文字だけだから、自分の世界を、妄想も含めて自由に広げることが出来るものだと思ってて。文学において自分の感じた世界を映画というツールを利用するのはエゴの押しつけだと思う。そんな事されると自分だけの世界を映像によって壊された気がする。その逆も然りで、映画という映像化されたものを見たあとに小説を読むと誰かが造り上げたイメージが拭いきれないままその世界に触れてしまう。だから文学の良さがなくなってしまう気がしてあまり好きではない。

でもそういうのがない映画は好きだ。監督が創造する世界、フィクションの世界を疑似体験として経験することができるから。

映画と音楽

映画の世界でバックグラウンドミュージックがある。映画の後ろで音楽が流れるとそれだけで感動したり、怖くなったり。監督が創造する映画の世界がより伝わりやすくなってよりその世界に入り込むことができると感じる。音楽を模倣するんじゃなくて、掛け合わせるだけでこんなにも素晴らしい世界が生まれるんだな。

あと、好きな映画監督に今泉力哉という人がいる。愛がなんだ、とか。パンとバスと二度目の初恋、とか。彼の創り出す世界は日常というものがベースになってると思ってて。どこか切ない映画が多いと思う。魅了されたから、どういう音楽聴くんだろうと思って調べてみると、やはり彼も僕が聴いているのと同じ音楽が好きならしい。なんか嬉しい。

音楽の世界と映画の世界は似ている気がして。もちろん文学も。自分が現実の世界に抱えている鬱憤とか、希望とかそういうものを自分の好きなように創りあげるものであって。だからそういう世界が絡まりあうと人の心を魅了する新しい世界がまた生まれるんだろうな。でも真似をすると生まれるどころか破壊に繋がるから良くないし、そういう人は本質的に理解出来てないんだろうな。


音楽が好きなら文学の世界に飛び込めばいいし、文学が好きなら映画の世界に飛び込めばいいし、映画が好きなら音楽の世界に飛び込めばいい。そうすることで自分の世界が広がるし、尊敬する人や好きな人に一歩近づけると思う。意外と自分の好きな物は繋がってたりする。僕はただただ自己満でそうやってるだけだけど。


はしもと



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