いたいのいたいの、とんでゆかない

 いたいのいたいの、とんでゆけ/三秋縋(著)

   耐えきれない苦痛のもとで生きていた少女の生涯は、それ故にほかの誰にも負け劣らない美しいものになったはずだ。
「先送り」の魔法を得た少女が、「人殺しさん」と復讐をこなす物語。飲酒運転をしていた男に轢き殺された少女は、その事故を不思議な能力で先送りにする。そして自分を轢いたお詫びにと、様々な復讐にその男を巻き込んでいく。

  彼女の人生は誰に羨まれるでもない苦しいものだった。それは先送りという特殊能力にさえどうにもできないような家庭環境や虐め、そしてそれを誘発した彼女の性質によるものだった。何度目の人生においても過ちを捨てきれなかった彼女の人生の中で、唯一ハナマルのついたところがあるとすれば、それは間違いなくあの瞬間なのだろう。その後の「人殺しさん」との出会いも、その提案に由来するものなのだから。

 この小説の構成の巧妙さについてはあえて語ろうとは思わない。それよりも、筆者の細部の言い回しや節々の伏線のようなもののほうが余程、読み手である私の性癖には引っかかるから。と、これも余談だとしよう。

 さて、この物語での一番の魔法使いは誰だったのだろうか。自殺した同級生(進藤)も、隣の部屋に住む美大生も、彼の生活においては、小さな魔法を幾度もかけてくれた存在だった。  
   轢き殺した少女は、先送りの魔法をかけた少女は、ほかにどんな魔法をかけてくれただろう。彼女は彼に、これまでに知らなかった美しさを教えてくれた。強がりで吐く嘘の愛おしさを教えてくれた。それは思い出せない夢の中で手を繋いで歩く、かつての誰かのようだった。
 
でも、この物語の中の一番ズルい魔法は少女の先送りでも美しさでもなかった。それは男が少女にかけた気休めの魔法だった。それと、いつか文通相手にかけた慰めの嘘だった。

 嘘つきな男と、天邪鬼な少女。二人の間に残るのはやさしい嘘なんかじゃない。耐え難い現実がもたらした真実とあれ。

 どんな未来が事実であろうと、ずっとそこに存在し続けたあれ。いつか失ってしまう、そのいつかまでに知ることができて嬉しかった、そしてもっと早くに知りたかったあれ。いつか誰かと語り合った、世界で一番やさしい嘘。それだけは真実だった。

 パラレルな世界の生み出す小さな幸福。それは所謂不幸が前提にあってこそのものだった。そんな、不幸を前提条件とした二人のあれを私は温かく思う。

そしてそういう世界に焦がれる自分をいつまでも捨てきれないから、私はこんな世界でも生き続けなければならない。いつまでも、その屈折した美麗を得ることなどないと知っているから。知っているのに、他人の書いた世界を貪ってもまた、私は生きなければならない。

 読み終えてからの動悸。それは彼への恋心か。それとも彼女への憧憬か、惚れ心か。進藤のように生きたかったという願いか。隣室の(、或いは出会うことのなかった)美大生にすらなれない、人様から見たら人道を外れていないただの大人である自分への慰めか。

多分に、最も陳腐でしっくりとくる言葉にするならば、二人の愛と依存への、憧れと称賛、苦しみと愛しみに過ぎない。

 ポピュラーなラブソングよりも歪んだ関係に見惚れてしまうのは、本能だろうか、性癖だろうか。それを私は、美しいと思っているのだろうか。それとも世界に飽きないために美しいと思いたいのだろうか。

  嘘みたいに閑静な喧騒に巻き込まれている今日このごろ、泥の中を真っ直ぐ歩き続ける。自分でその汚れを落とす生活にも、春の日差しは眩しいように。アゲハ蝶は荒野にこそ咲くように。その美しさが、この単調で嘘にもならない日々や、少女たちの残酷な過去との相対評価だとしても。それでも今日も、私はそれを美しいと思う。



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