相川 実
書評やら音楽評論やら
短編らしき
自筆の小説(散文)
自筆のエッセイ
あらすじ 母の、「あなたが笑っていてくれればそれだけでいい」という口癖を嫌う少女、この物語の一人目の主人公・山本は、幾度となく祖父に殺される夢をみた。人並みの愛を受けて育った彼女は、なぜか時々、母親のことを非常に疎ましく思ってしまう。 二人目の主人公・チサトには妙な記憶があった。それは夢なのか現実のことなのか彼女自身にもわからないものだった。彼女は両親のもとに生まれる資格を問われる、それに懸命に答える。その記憶から抜けたチサトは、不登校気味で反抗期の中にいる、
いつかの少年は、「ロックバンドは、楽しい」と思った。 家で1人で聴いていた音楽。ライブハウスに行けば、それが自分のためだけに鳴ってくれて嬉しかった。 自分のなかにも、メロディーが鳴っていた。ギターを持って弾いて歌ってみると、それは歌になった。自分から出てきたメロディーは、なんだかとても愛おしく思えた。 だから、ロックバンドを組んだ。ロックミュージックを鳴らすために。自分のために作った曲を自分たちのために鳴らす。自分の作ったメロディーをバンドで鳴らしてみて、綺麗だなと思った
私の中で私と私以外の誰かが闘って、そして私が負けてしまったときに、ちゃんと私を慰めてあげられる自分でいたいと、強く思った。だけど、それは口に出すと嘘になってしまうような真実だから、私は私を騙すみたいに、何にも気づいていないフリをした。自分についた嘘はこびりついて取れない。そうやって嘘は私の本体になって、真実になって、私は消える。消えてしまった私を覚えているのはあなただけ。だから私はあなたのことを好きでいたいの。だけどそのあなたが一体誰のことなのかすらわからないから、くやしい。
すべてが嘘でありますように。七夕の短冊にそう書いた。短冊は願い事を書くためのものなんだよ。クラスメイトのミサキはそう言って、私の書いた願い事を半分にちぎって、それをまた半分にちぎって、それを重ねて半分にちぎって、もう1回くらいちぎったところでぱらぱらとごみ箱の中に捨てた。綺麗に舞い落ちる、願いだったはずの紙切れは、私の心のどこかにまだ存在していてほしかった神様みたいだった。私が見捨てたわけでも私に見捨てられたわけでもどちらでもなくて、ただのクラスメイトに破かれて捨てら
あれはある夏の日の出来事だった、から始まる物語は許されるのに、冬は何故か叙情的な表現をしなければ存在させてもらえない。若しくはそれもただの私の思い込みなのかもしれない。自分で勝手に蓋をしてしまう程に、私はそんなに臭いのだろうか。そうではない。蓋をして閉じこもるのは、ただ怖いからだ。今日は秋。明日も秋で、昨日も秋。夏のような陽気で、まるでへんてこなピエロみたいな秋。ネットで検索してもわからない自分自身のことと、第四検索ワードで理解したと勘違いしてしまうあの人のこと。どち
魔女たちは古来と比べて随分と大人しくなった。昔はお菓子の家で釣った子どもたちを狙ったりもしていたが、昨今はそんな野蛮な魔女はもういないだろう。何しろ共存の時代だ。魔女が自分の暮らしのことで精いっぱいに生きているうちに、人間は他人と手を取り合い、知恵をつけてきた。種の存続、子孫の平穏無事のために。 現代の魔女は人間を襲わない。もっとも、現代の魔女も古来の魔女も同じ個体だったりするようだが。魔女の生態は未だ明らかではないが、不老不死もしくは人間の何十倍も生きるといわれている。
ストーリーコンテスト、最終選考までは残っていたようですよ。グランプリはいないんですってね。またそのうちなにか書こうかしら。口内炎はバカヤロウ。
湖の上を歩く夢を見た。私は湖を見たことがないのに。それなのに湖の夢を見た。池でも川でもなくて湖。その湖の水は、とても汚かった。私がテレビか何かで見たどんな湖の水よりも、汚かった。これは夢だ。そう思った。湖の水があまりにも汚かったから、そう思った。時々、夢を見ながら夢だと気がつくことがある。それは遅刻をする夢ではなくて、優勝する夢を見たときだ。何もかもがうまくいったとき。それなのに今日は汚い湖を見て、夢だと確信したのだ。もしかして私の人生はうまくいっているのだろうか。い
個人主義を建前に生きているのに、時々誰かの悲しみを妙に親密に感じる。温度をもって、まるで私が産み出したかのように痛む。私にはその誰かの心情なんてわかりっこないのに。 クリームソーダの、ちょうどクリームでもソーダでもないところ。クリームとソーダの合流地点で息をしている。きれいできたなくてよくわからないところで、いきている。透き通って見える他人の体。ずっとただ真実味を帯びている私の体。他人から見たら嘘なのかもしれない、私の本当。 旧暦と新暦の齟齬を埋めたがる暑い初夏に、私は
「甘いお酒が好きなの」彼女は僕が持つメニューの、ファジーネーブルを指さして言った。「ファジーネーブルと日本酒、冷で」頼むと店員は笑顔で頷いて厨房に戻る。僕の好きな彼女、甘いお酒が好きな彼女からは、今日も甘い香りがする。「今日も可愛いね」僕がそう言って微笑むと彼女は、「甘ったるい言葉ね」と嫌そうな顔をする。「甘いのが好きなんでしょ?」と聞くと、「あなたのことは好きじゃない」と言う。今日も辛口だ。今日も、彼女は僕を好きにはならない。それなのに、すき焼きを奢られたくて僕の誘いに
クリープハイプが、アルバム「夜にしがみついて、朝で溶かして」のライナーノーツを募集していると風の噂(公式SNS)で聞いた。ライナーノーツか感想文か私的感情かわからない何かを、もっとこれからもアルバムを味わわせてねの気持ちを込めて。 01 料理 アルバム1曲目らしい軽快なイントロ、十二分な言葉の味付け。それに反して「料理」一言のシンプルすぎる曲名。 この曲をバックに某国民的アニメーションの友情的冒険劇が流れる、そんな夢を見た。 「そばにいてくれたら それで腹が膨れる」っ
ずいぶん前に消えてしまった
誰かが私の体の中を歩いている。なんだか少し、くすぐったい。胃の壁を、ウロウロウロウロしている。こそばゆいけど、嫌ではない。私は私の胃を見たことがない。本当は夢の中で一度だけ見たことがあるけど、夢はあくまで夢なので、本当は見たことがない。私は私の胃に触ったことがない。触ったことがないどころか、触り方も知らない。形も色も固有名も知らない。私が私の胃の名前を知らないなんて、おかしな話だ。だけど、私は私の胃を呼んだことがないから、今まで名前を知らないことに気がつくこともなかっ
それは宗教が宗教になった瞬間だった。何気ない瞬間に人は過ちを犯す。それと同じように人はある時突然、明確な救いを求めるのだった。信じるということは何も考えないということで、それは無味無臭の快楽である。安心は無関心を生み、産まれてきた意味も見出す必要がなくなった。 私たちは救いを求めて不安定の中を泳ぎ続けてきた。手に取った安定は結果ではなくて目的である。安定、それ以上でもそれ以下でもない。煩悩は段々と薄くなっていってもうここには見当たらない。散々泳いだはずのあの海が、目を凝らし