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ワーママ時代のモヤモヤを分解する① モヤモヤの要因は?

みなさんこんにちは。MIYUです。
ロシアはすっかり夏が過ぎ去ってしまったようで、気温が下がり、ついに長袖を引っ張り出しました。なんだかちょっと寂しい気持ちです。

今日は、自己紹介記事でも書いたのですが、ワーママ時代とにかくモヤモヤを抱えていた私。ロシアで自分と向き合う中で気づいた、モヤモヤの原因を少し綴ってみたいと思います。

1. キャリアウーマンになりたかった学生時代

「キャリアウーマンになりたい!!」と私はずっとただ漠然とこう思っていました。幼い頃から勉強は得意で、コツコツ努力することが好き。中学時代はいわゆる優等生で、高校は県内トップを争う進学校へ。部活に明け暮れ、そこそこの青春を過ごして、有名私大に入学しました。それなりに大学生活を楽しみ、就活もそれなりに頑張り、大手メーカーへ総合職として入社。育児も家庭も両立するキラキラ女性を夢見ていたのです。

「なんでキャリアウーマンになりたいの?」そう聞かれても、「なんとなく、かっこいいから。」実は大して理由がない笑。高校・大学はとにかく敷かれたレールの上を歩いてきてしまっただけの私は、明確に自分がやりたいことがありませんでした。
やりたいことがなくとも、「いつか見つかるだろう」ぐらいに考え、とにかく目の前の「いい高校に行こう」「いい大学に行こう」「いい会社に就職しよう!」という常に目の前のことしか考えていなかったのです。

就活の時に初めて自己分析をして、「自分の軸ってなんだろ〜」と考えたけど、そこでおしまい。当たり前のように、みんなが総合職として就活をしているので、自分も当たり前のように総合職希望として就活自分の周りにいたみんなと同じことをやっていました。(その当時はその時なりに、かなり考えて悩んでいたんですけどね・・・)

会社に入ってからも、「早く一人前になりたい!」そんな思いで学生時代に優等生として培った能力を発揮し、与えられた仕事を精一杯こなしていました。最初は自分の仕事のできなさに幾度となく、悔しい思いもしてきましたが、自分の企画が通ったり、自分の思いが実現できることに楽しさを感じていました。
とにかく忙しく残業漬けの毎日。でも、この時の私にとっては「仕事」しかなく、それが人生のやりがいになっていました。もちろん、辛いことも結構ありましたし、「会社嫌だ〜」「私の人生これでいいんだっけ?」と思うこともしばしば・・・
そのたび、モヤモヤくんが私の心によく登場はしていたものの、「給料もいいし、毎年海外にも行けてる!すごくいい生活じゃん!」と言い聞かせ、「自分の気持ち」や「自分がやりたいこと」に蓋をしながら過ごしていました。

2. 育休からの職場復帰。劇的な生活変化。

ちょうど30歳の時に妊娠し、息子が1歳3ヶ月の時に職場へ復帰しました。キャリアウーマンになることが夢だった私が育休後に描いたキャリアは「仕事と育児」を両方とも諦めたくない!でした。
そのため、夫と完全家事分担を実現するためにわざわざパワポを作り、プレゼン笑。(しかも全部の家事洗い出して、工数まで記載してロジックをきれいに通した嫌な嫁。)なんとか夫の協力を得て、家事完全半々に成功。職場復帰を見据え、3ヶ月ごろから子供に「ねんねトレーニング(ネントレ)」を実践し、夜は19時30分には就寝、夜泣きをさせない術を身につけさせていました。ホットクックやルンバ、乾燥機付きドラム洗濯機といったワーママ三種の神器も購入。オイシックスやコープ等々、ワーママ界で一度は耳にするであろう料理キッドを次々試し、自分にあった家事スタイルを見つけ、準備万端で復帰に臨みました。

【復帰〜6ヶ月の状況】

復帰してからの半年ぐらいは、自分の時間が確保できることや子供以外の誰かとつながれることが嬉しくて超ハイテンション!(これを私は育休ハイと名付けているw)
1日のスケジュールを詳細に立て、育休中に実践したネントレを満を辞して実行し、20時前には寝かしつけに成功。その後に仕事や翌日の準備を。仕事も家庭も何とかこなすぞ!と言う意気込みが大きく、うまくいかないところは改善を繰り返し、自分にあったスタイルを確立させてきました。起きている間は常にエンジン全開、そんな日々を過ごしていました。
準備の甲斐もあり、とてもスムーズに両立をスタートさせていました。

【復帰6ヶ月以降】

フル回転し続けてきた身体に、限界を迎えました。この頃から2ヶ月に1度、40度の高熱を出すように(絶対疲れw)。平日は仕事、土日は子供とお出かけ、家事、作り置きなどで自分が休む時間がほぼない・・・。そして、仕事・育児双方に変化が訪れてきました。

<仕事面での変化>
仕事は、ありがたいことに特にワーママだからと言って差別なく、通常通りの業務が付与されていました。しかし、私を襲ってきたのは、思いっきりやりたいのに、無情にもお迎え時間が到来し、中途半端に退散するというやりきり感のなさ。残業時間中に残っているメンバーで方向性を変えられ、担当なのに蚊帳の外を感じることも・・・。息子の突然の体調不良で、突発休みも勃発。職場で役立っている感が全然しませんでした
いつ何が起こるかわからない状況の中、周りに迷惑をかけないように、常に気を張り、就業中は頭をフル回転。トイレに行く暇すらありませんでした。次から次へとやってくる仕事。次第にやっつけ感が大きくなってきました。
しかも、そんな自分は「ちゃんと評価されているのだろうか・・?」そんな不安が頭をよぎるようになりました。

<育児面での変化>
育児面でも大きな変化がありました。これまで私の思うように動いてくれていた息子も自我が芽生え、イヤイヤ期突入。全く言うことを聞いてくれない。保育園から帰ってくるなり、泣き続ける我が子(これまたパパの時は全く泣かない)。時間通りに進まない。20時に寝てくれていた我が子の寝る時間はどんどん後ろへズレこみます。寝かした後に仕事をしたい、早く寝て!!!そんな思いで焦る寝かしつけ。その気持ちが伝わるかのように寝ない我が子。そして、ネントレの効果もついに効かなくなってしまいました。
我が子をいつまでもコントロールできると思い込んでいた私。大間違いでした。


3. 誤魔化しきれなくなった自分

自分の思うように生活が進まず、私はストレスマックス。何も変わらず、仕事をする男性陣を妬んだり、うまくやれない自分に怒りを感じたり。子供に八つ当たりをする頻度も高くなり、自己嫌悪。そもそも毎日クタクタで、気持ちがネガティブになっていきました。
そして、蓋をしたはずだってモヤモヤが迫ってきました。
「私って何のために働いているんだっけ?」
「子供預けてまで仕事してる私って何?」
「子供が小さいうちは一緒にいてあげるべきじゃないの?」
「仕事も育児も、こんな頑張っているのに誰も認めてくれない。なんで?」

それからというもの気持ちが上向きの時は
「やっぱり仕事が楽しい!私に向いてる!」と思い、
気持ちが落ちてる時は
「やっぱりもっと仕事セーブすべきかな…」
私の心はグラングランと、揺れ動いていました。

そして、気づいたのです。
これまでは、モヤモヤを何とか誤魔化すことができたのは、自分の時間があったからこそ。嫌なことがあっても、辛いと思うことがあっても自分の時間で友人と会ったり、飲みに行ったりとストレス発散やリフレッシュをして、どうにか無理やり気持ちを切り替えていたのでした。全て自分で完結する問題ばかりでした。
でも、家族ができ、子供という守る存在ができ、1分1秒の時間が惜しいという、切羽詰まった状況では自分の気持ちを誤魔化せる状況になかった。。でも自分と向き合うこともできず、自分の本当の声を聴くことをできず、ただただモヤモヤと漠然と不安を抱えていたのでした。

4. モヤモヤの要因は何だったのか。

ロシアに来て、私はとにかく内省し、モヤモヤの要因を探しました。
私なりに分析した結果、私がモヤモヤの1番の要因は
判断軸が「自分軸」でなく、「他人」・「上司軸」だったということに尽きると思います。
そしてそうなってしまった理由は、以下の3つではないかなーと思います。
①あらゆる固定観念に縛られていた(アンコンシャスバイアス)
②ありのままの自分を受け入れることができていなかった(プライド・承認欲求の高さ)
③自分への理解が足りなかった

これまでの生い立ちや自分の価値観が形成されていく中で、私は無意識に「他人」からの影響を強く受ける人生を送っていました。
自分の人生のはずなのに、他人の目を気にして、他人のために生きる人生
いつの間にか自分の「Want」を失い、「Have to」で生きてしまったのです。

それでは、なぜ他人軸の人生になってしまったのか。①〜③の内容については、次回のnoteで書いていきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!



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