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どうしても自分自身のことを恥ずかしいと思ってしまう、漠然とした自分は恥ずかしい存在だという感覚ってありませんか。しっかりとした自己肯定感を持っている人、エフィカシーの高い人はまったくそんな感情とは無縁かもしれませんが、日本人には自分のことを恥じる癖がある人が結構多いのではないかと思っています。
何か失敗をすると、すぐに自分を恥じるし、誰かにちょっと何か言われたら落ち込んでしまうというガラスのハートだという人は、恥の感情に心が揺れやすい人なのでしょう。
私自身はもう人生の中で自分を恥じてしまう記憶ばかりで、それを思い出しては恥ずかしさのあまりのたうちまわることがよくあります。
もちろん恥は主観的なもので、本人は恥ずかしいと思っていても他人が客観的に見たら大したことがないことも多いでしょう。
ではこの苦しい自分自身を恥じる癖、病をどうしたら克服することができるのでしょうか。

ミスや失敗は誰でもすると徹底的に理解する

自分を恥じる中毒に陥っている人に共通するのは、はっきり言って歪んだ完璧主義です。
そして自分ばかりが失敗するダメ人間であると錯覚してしまっているのですが、実際はすべての人間がそれぞれ失敗やミスを重ねながら日々を生きているということがわかっていません。どんなにそつなくすべての物事をスマートに余裕にこなしながら人生をエンジョイしている人でも、必ず私たちが見えない所で色んなミスをしています。そのことを徹底的に理解するしか、自分を恥じる中毒から抜け出すことは出来ないと思います。

人間は誰1人として同じではないとよく理解する

恥ずかしいことをしてしまった、自分は恥ずかしい人間だという感情は、心のどこかですべての人間は同じで、すべての人は同じ事を同じようにできなければいけない、と考えてしまっているのではないでしょうか。
しかし現実の世界では人間1人1人すべてがちがうと言っても過言ではありません。ですから誰かが出来ることを誰かが出来ない、というのは当たり前であり、だからこそ私たちはみんなで互いに弱い所を補い合いながら生きて行くことが出来るのです。
血の繋がった同じDNAを持った家族ですらまったく違うというのも、すでに気づいておられると思います。人間1人1人はユニークな存在で、人によって得意なことも不得意なこともまったくちがうのは自然なことです。このことも深く理解しておく必要があると思います。

「自分なんてこんなものだ」と開き直るといい

とはいうものの、今まで人生の中で長年ずっと持ち続けてきた自分を恥じるという癖は、そんなに簡単には治せないでしょう。心に根深く染みついてしまっている場合は専門家の助けを借りる必要があるかもしれません。そんな時はもう「どうせ自分なんてこんなものだ」と何でも開き直ってしまうと楽かもしれません。あらゆることに対して自分自身に期待をしないということです。どこかで自分に期待をしてしまっているから失敗した時に落ち込むのです。ミスを指摘されたって叱られたって、自分なんてこんなものだからまあいいか、という気持ちでいると、いろいろな行動に対しての不安や恐怖感が薄れてきます。これは自分を卑下するのとは違います。緩く自分を受け入れて自分をリラックスさせるためにやるのです。

まとめ

自分を恥ずかしく思いどうしようもない感情になることは、今でも時々ありますし、完全には恥の中毒性、病を克服出来ていません。しかしどんな人にも地球上の誰であっても失敗やミスを繰り返しながら生きている、誰でも恥ずかしい思いをたくさんしている、自分だけではないということを徹底的に理解し、誰1人として同じ人間は存在しなくて、すべての人間は1人1人がまったく違う能力や性質を持っていることをよく知り、だからこそ出来ることも出来ないことも1人1人まったく異なるということも深く理解することで、少しずつ自分を恥じる癖から脱けだすことが出来るのではないかと思います。



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