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自分の場所はある

何か新しい道に進もうと思った時、自分の前にたーっくさんの人が既に歩きはじめていることに気がつく段階があります。それまではただわくわくやりたいことをやっていただけなのに、これを稼ぐ手段にしたいと考えて、その目で回りを見渡したときです。

自分が思っていたよりも、ずっとその世界は昔から続いていて、自分より前からその世界にいる人がいることを知ったとき、「こんなんで仕事に結びつくのかな」「私の出番なんてないんじゃないかな…」って、あまりの先駆者の数に愕然とするかもしれない。

それって多分、世の中には限られたパイしかなくて、それをみんなで取り合うイメージからくるものなんだと思います。(その世界にどっぷりハマればハマるほど、世の中全体のパーセンテージで見ることが難しくなるから、余計にそうなんだろうと思います。)

私だって、なんだかいろんなものが有限なんだって教わってきたように思います。

でも、無限だとしたら?

自分にぴったりフィットした椅子が、きちんと現れるんだとしたら?

私はそういう前提で生きてみたいと思いました。

「写真の道は狭き門だ」「椅子とりゲームだ」と写真学校では教わりました。20名以上いたクラスメイトのうち、写真の仕事についているのは多分2.3人です。でも、これって、狭き門をくぐろうとして、振り払われて残った数じゃない。多分、残らなかった人たちは、自分でほかの道を選んだだけのこと。

写真の道で生きようと決めた人は、きちんとその線の上にいる。そんな気がしています。

さらに、写真の道といっても、その分布は広範囲。小さな島を目指して、嵐の大海原を必死で泳ぎ続けてたどり着くというイメージではなくて、よりそれぞれの本質に近い場所に散らばっていった。という感じです。限りない宇宙へとふわふわ遊びにいくような(だから、道も前だけじゃなくて上にもナナメにもうしろにも全方位にあるイメージ)

だから。
それはどの業界でも同じこと。
自分の前にもうしろにも、一見すると同じことをしようとする人たちがわんさかいてひるみそうになる。
でも、実は、同じものを手段としているだけで、たどり着きたい場所もルートも人それぞれ。表現も違うから、ひとりひとりにぴったり合った場所が存在するんです。

ポイントは、「これやったらいつか役に立つかな?」とか「こっちの方が儲かるかな?」みたいな思考を手放すこと。

最近、「自分の先にたくさん先駆者がいてひるんでしまう」「楽しいと思って始めたのにやる意味あるのか迷い始めた」、というお話をよく伺うので、今日はこんなことを書いてみましたー。(「楽しいと思ってはじめたのに、やる意味あるのか迷う」というのは、また別の前提が含まれてるけど!それはまた別の機会に。)

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