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息苦しいのは場所のせいか

高校を卒業して、大学に行くというとき選んだのは地元の松本を出ることだった。松本が嫌だったわけでは決してない。そして行き先である東京に憧れがあったわけでもない。ただ、親の干渉から離れたかっただけで、行き先はどこでもよかった。ひとりで暮らしてみたかった。

東京に住むようになると、好きなものに没頭し、日々の小さな楽しみを満喫する毎日。その頃住んでいた文京区は、自然も文化もあって大好きだったけれど、松本育ちのわたしにとっては十分でなく、コンクリートに地球が覆われているように感じていた。そして、それまで地上を走る電車しか乗ったことのなかったわたしは、地下鉄の陰鬱な雰囲気が息苦しく感じた。

それからいくつか都内で引っ越しをして、OLもした。大好きな本に囲まれる職場。人が多いのにも慣れたし、地下鉄なんて何も考えずに乗るようになった。毎日ささやかに幸せだったけれど、いつからか、このOLの生活がずっと続くと思うと混乱を覚えるようになった。20代後半という年齢がそうさせるのかもしれない。そんな環境から逃げたいような気持ちになった。

そして、結婚して住んだのは八ヶ岳エリア。裾野の広々とした開放感に気持ちが軽くなった。白樺の木肌は発光するように輝いているし、そばの小さな白い花の揺れる様子はなんとも可愛らしく、山をかぶる八ヶ岳が視界に入ると元気になった。

その反面仕事となるとなかなかに難しい。転居とともにOLを辞めたけれど、引越し先で仕事を探すとなると、選択肢はほぼゼロに等しかった。興味のある英語を生かせる海外営業事務を見つけ、勤務することになったものの、生きている実感は得られず。1年で退職した後、ロンドンへ短期留学をした。

この時、ようやく、というか少しずつ経験を重ねて気付いていった。
何がわたしを息苦しくさせるのかについて。

今、振り返って思う、息苦しさの原因は2つある。
一つは住環境、一つは自己実現。

ひとつめの住環境というのは、住んでいる環境が心地いいかどうかということ。ここで一番大切なのは、「わたしにとって」という基準だ。
わたしは、自然の中にいる時が一番心落ち着けられる。そして、文化も必要だ。これまで旅した中でも、自然と街とが共存しているハワイや京都なんかに惹かれることが多かった。

そして、ふたつめの自己実現。
八ヶ岳エリアに住んだ時、住環境がどんなに良くても、わたしはこの自己実現がネックになって息苦しさを感じていた。職を、そこにある選択肢の中から選ばなければいけないという苦しさ。これは、本当のところ事実ではなく、やろうと思えば自分で生み出すことだってできたはずのなだけど、その力が当時のわたしにはなかった。だからこそ、そのタイミングで、私は自分の力で、自分を活かしながら誰かにも喜んでもらえるような仕事を模索するようになったのだった。

それから、もう10年が経つ。
東京で今の仕事の礎を作り、去年松本に居を戻した。
今、息苦しさはない。
それは、住環境が心地よく、かつ、自己実現がされているから。
どんな場所にいても、自分として生きる力を得たと感じている。

息苦しいのは場所のせいか。

その答えは、イエスでありノーであると、私は思う。

自分の息苦しさがどこから来るのか、その原因を突き止めると、何を変えたらいいのかが見えてくるんじゃないかな。



▼裏庭にラズベリーがいっぱい。










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