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人前で弾けない私

あがり症を克服するには、
あがって、
パニクって、
恥ずかしかった体験を、
言語化するのが良いらしい。


10年以上前の体験を綴ってみようと思う。

ロサンゼルスの
サンタモニカ・カレッジで
音楽を専攻していた。

50代からのチャレンジは新鮮だった。

ピアノを弾くのが大好きだった。

何かに対して、
こんなに真摯になれるのは
久しぶりだった。

早朝から、ピアノ室にこもり
あらゆる練習を試みた。
早く上手になりたかった。

ピアノ科では
年に2回のリサイタルで
ピアノ・デュエット(連弾)を弾くのが必須だった。

(ここまで書いて、書く速度が落ち、
書きたくない、という強い力に、
飲み込まれそうになっている自分に気付く。)

あがる、という
大勢の聴衆を前にして、
パニクり、トチり、
恥ずかしかった自分を
再現するのを辞めたい、という衝動が押し寄せる。

この記事を書くのを辞めてしまおうか、
今、書かなくても良いんじゃないか、
noteなんて、続けなくても生きていける、
などと、
宿題を終わらせられなくて
あらゆる言い訳を考える
子供のような自分、という登場人物が、
突如として、
この記事を乗っ取ろうとしている。

決して「人前」が怖いわけでは無い。


同じ頃、スピーチのクラスでは
準備した題材を
面白おかしくアレンジして
聴衆を惹きつけ、笑わせ、
恐れることなど無かった。

現在も、シナゴーグで
突然、スピーチを頼まれても
頭の中の、知識を数分でまとめて
50人くらいの人を前にして
英語で人を惹きつける事ができる。

別に、
スピーチで身を立てようと
思っているわけではなく、
特にスピーチが好きなわけでもない。
もっと上手になりたい、
という欲も無い。


普段は饒舌で元気なのに、
好きな人の前では、
意識しすぎて、
何もできなくなってしまう
あの状態と同じ様なドキドキが
ピアノのリサイタルの時にだけ、起こる。

練習の時はパーフェクトなのに
リサイタル、という正念場で
頭が真っ白になる、という症状が起こる。
練習に練習を重ねたのだから
技術不足なわけではないはずだ。

リサイタル場に入る。
聴衆の椅子がきちんと並べられ
正面にピアノがツンとすまして
ライトを浴びている。
少し、ホコリの匂いがして
静かだ。

この状況を見て、
私は家に帰りたくなる様な気持ちになる。

好きで、
自分で選んだ道なのに…
大好きなピアノを
多くの人に聴いてもらえる空間なのに…

リサイタルが始まり、他の人が弾き始めると
私の内面の状態は、肉体に具現化される。

呼吸が荒くなり、
手の平から汗が噴き出る。
心臓の鼓動は、
隣の人に聞こえてしまいそうなほど、
いや、心臓が飛び出しそうなほどだ。
そして、吐きそうな気分になる。


気絶しそうになる。大袈裟では無い。


来年は、こんなクラス、絶対に取らない、
と変な決断に達する。


逃げ出したい。

自分とパートナーの名前が呼ばれる。
ハンカチで手の汗を拭き取り
立ち上がる。
聴衆の前で、笑顔で、礼、をする。

ピアノに近づき、椅子に座る。
深呼吸をして
パートナーと目を交わし、頷き合う。
大丈夫!
韓国からの留学生の
作曲専攻の優しい女性がパートナーだ。

二人で何度も練習した。
私はセコンドで、伴奏の様なパート。
プリモのパートナーより、
ずっと難しくて、不公平だな、と思った。

時々、パートナーと
指が交差したり、触れ合ったりするが
話し合って、二人で息を合わせて
弾く練習をしてきた。

多分、3分にも満たない曲だった。

あー、ダメだ。
ここまでしか、書けない。
大した事が起こったわけではないけれど

今日はここまで。

ごめんなさい。

恥の体験を書くのは
思ったより
難しい。








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