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【小説】異世界に来てしまった中年男性の悲劇(11)

 ボブ•ホワイトを探して3日が過ぎた。
 ブリスベンのバックパッカーズ•ホテルに滞在しながら、ボブの所在を追う。
 与えられた費用は200ドル。1泊およそ15ドルだから、もう半分の100ドルしか残っていない。
 初日にレストランに入ったのが痛かった。
 ハンバーガー1つ20ドルは高すぎる。しかも、どうしてもビールが飲みたくなり、一杯飲んでしまった。それが8ドル。チャージ料金合わせて30ドルが初日の夜に消えたのだ。
 そもそも酒に酔わなきゃこの世界に来なかったことを思えば、禁酒にしてもいいくらいなのに、亘はとことん自分に甘い人間だ。その甘さが家族や周囲の人たちに迷惑をかけているというのに、反省がないところは実に愚かしい。

 阿部さんと安倍さんは、海外が初だという。
 日本……もとい『東大和』とは違うオーストラリアの開放的な雰囲気は、二人を浮かれさせた。二人は監視役なんかそっちのけで、毎晩、BARやビーチに遊びに行った。気候の暖かさも北東北の人には刺激が強かった。ベロベロになった二人を介抱するのは、亘の役目だった。

 夜風が誘うままに亘とアベアベコンビはビーチ《サーファーズパラダイス》で、暗い海を眺めながら語り合っていた。監視員の2人は酔っ払い、東北訛りが強くなっていた。

阿部さんが言った、
「楽しく生きている人ってのも、いるところにはいるもんなんだなあ」

安倍さんが言った、
「人生って、楽しんでもいいものなんだなあ」

亘が言った、
「育った環境が、それを許してこなかったんですね。人生は苦労しながら一生懸命生きるものだ、って親や学校に教え込まれてきたんですよ。競争社会で勝ち残るために」

「古田間さん、おめえんとこの世界っつうのは、みんな楽しんで生きてるもんなのすか?」

「私の世界の日本では……なんだろ、なんかみんな無理して……そう、何か楽しまなきゃいけないって無理してる感じです。いろいろ便利になってその分、たくさん時間が生まれたはずなんですけど、その隙間時間をいかに有効に使うかで悩む人がいたり、スケジュール埋まらないと不安な人達がいたり、遊ぶにしても楽しむにしてもカメラでその事を写してみんなに見せて、《いいね》って認めてくれないと満足しない人たちがいて……他人から楽しんで生きているように見られようと、それを認めてもらおうと必死なんですよ」

「必死にならねばならぬ理由でもあんべか?」

「どうしても人の目を気にしなくてはいけないのが日本なんです。人から認められないことをしてはいけない、世間や政治は、他人と違うことをする人に厳しいんです」「んでもまあ、それは君個人の見方っつうこともあんでねえ?」

「そうですね、私個人の見方です。他の人に聞いたら、きっと違う意見があると思いますよ。10人いたら10人の日本があると思います」

「そったら難しい話、おらいにされてもは」

「そんなに難しくありませんよ。空は青いですが、私の見ている青と皆さんが見ている青は同じ青ではない、そんな話を聞いたことがあります。それは、物事に対して、それぞれが違った認識をしているからです。この世界も、その一つなのかも知れないって思うんです」

「んだな。……わがんねえけんど」

 安倍さんはもう眠っていた。波の音に呼吸を合わせて、とても心地よさそうだ。

 ボブ•ホワイトの手がかりを知っているのは、バックパッカーズホテルに宿泊していた田中さんという希羅国の男性だった。
 田中さんはワーキングホリデービザを取得してオーストラリアにやってきた。そこで仕事を斡旋してくれたのがボブ•ホワイトだったという。
 亘はすぐにボブの居場所を聞いて、その住所にバスで向かった。目指す場所はゴールドコースト•タンボリン。坂道を上り続けたところに、穏やかな住宅地が見える。小さな教会が建っていて、その教会の前でドレスとタキシードの若い男女が花束に囲まれていた。
 ボブ•ホワイトがオーストラリアにいるとは聞いていたが、まさかこんなに近い場所にいるとは思わなかった。シドニーやメルボルン、パース、アデレードなど、多くの都市がある中で、比較的行きやすい場所にいるというのは幸運と考える他ない。田中さんは親切に住所と地図、バス乗り場や行き方まで教えてくれた。海外で出会う日本人はとても優しい。えっ!? 日本人じゃない? ああ、なんて面倒くさい世界だ……。(確かに、田中さんは希羅人でしたね)

 指定の住所にたどり着くと、そこには2階建ての、白くて細長い家が、周囲のグリーン緑に溶け込む形で建っていた。開放されている一階には、パワーストーンが並べ置かれ、白髪の美しい老婆がそこに座っていた。

「Excuse me. Is here Mr.Bob? 」

亘は失礼にならない英語か気にしながら自分ができる精一杯の英語で質問した。老婆は小さく「Who are you?」と返した。

「I am Wataru.Nice to me too.can I see to the Mr.Bob?」

「Upstir」

 老婆は上の階を指したので、二階にいるのだと分かった。急に不安になってくる、一番の不安は英語が話せないことだ。

 足の踏み場もないほど敷き詰められたパワーストーンの中を、なんとか触れないように中へ進み入る。大小パワーストーンにはそれぞれ値札が付いてあるのが横目に見える。「0」の数が異様に多い。少しでも触れたり壊したりでもすれば、一体どれほどの金額を請求されるのだろうか?
 亘が階段をゆっくり上りきると、白いドアが開けっぱなしの状態で、中の部屋が剥き出しになっていた。窓際に置かれた椅子とテーブルに、中年の太った白人男性が腰を落としている。テーブルの端に置かれたデスクトップの画面を見ながら、居眠りをしているみたいだった。

「Excuse me」

 3度目の「Excuse me」でようやく男は目を覚ました。
 亘は緊張で震える声で「Are you Mr.Bob?」と尋ねた。ボブは「YES」と返事をした。
 亘は軽く自己紹介をして頭を下げた。続けて質問しようとしたが、さすがにボブにとっても亘の英語は聞きづらかったらしい。亘を手招きすると、引き出しの中からイヤホンとマイクそして10円玉ほどの大きさの円盤状のシールのセットを2つ取り出して、1セットを亘の方へ差し向けた。

「Are you japanese?」

「YES」

「OK」

 ボブは小型の通信機器(?)を操作しながら、円盤状のシールを額に貼り、イヤホンをつけるようジェスチャーで亘に伝えた。
 指示された通り、亘は黙ってシールとイヤホンをつけ、マイクを口元に向けた。するとイヤホンから英語でアナウンスが聞こえた。早口過ぎて何も聞き取れなかった。電源が入った音なのかもしれない。

 《聞こえるかな?》

 ボブの声なのか? ボブの話声が日本語で聞き取れた。亘も「Can I use japanese?」と言う。

『日本語で話してくれ。君の言葉は僕の第一言語で聞こえるから』

『分かりました、ありがとうございます』

 なるほど、薄々予想していたが翻訳機であることは間違いないようだ。(それにしても、話すと同時に通訳されるなんて……0秒通訳なんて性能が良すぎるんじゃないか? 2023年だってここまで優れた翻訳機はなかったと思う、多分……)

『君、私の論文は見てきたのかね?』

『すみません、英語でしたので……』

 ボブ•ホワイトはため息をついて、肩をすくめた。常識を疑われたような感じだった。

『君の事は聞いているよ。東大和の軍部から直接私に連絡があってね』

『そうだったんですか!?』

『そうとも。下の階にいたアリスには、日本人が来たら上に通すよう言っておいたんだ。ただ尋ねて来た者は誰も通さんよ。来る前には事前に連絡してくるのが礼儀というものだからね』

『すみませんでした』

『それで、君の話は本当かね? 異世界から来た、というのは?』

『はい。帰る方法を探していたんです』

『ふぅむ。で、君の世界とは? どんなところなのかね?』

『西暦2023の日本です。でも、ここの世界とは違って、戦後、昭和天皇は暗殺されていませんし、国も三つに分裂していません。軍隊もなく、戦争は憲法で禁止されています。震災やコロナウイルスパンデミックはありましたが、比較的平和な時期を過ごしていたと思います』

『その証拠はあるかね?』

 亘はスマートフォンを取り出してボブの目の前に置いた。

『なるほど、Apple13か。確かに君はこの世界の人間ではないな』

『私の世界では、iPhone13といいます。あなたがこれを知っている、と言う事は、あなたも私と同じ世界から来られたのですか?』

『すっかり同じかどうかは分からないがね。君達が西暦と呼ぶ暦で言うのならば2032年から来たよ』

『未来?ですね』

『もう一つ言えば、君は先程《戦後》という言葉を使ったが、それは第二次世界大戦のことかね?
そうであるならば、僕のいた世界で2023年の日本と言えば……《戦前》と呼んでいたよ』

『戦前?』

続く

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