見出し画像

【小説】異世界に来てしまった中年男性の悲劇(12)

『2023年が、戦前?』

 俺は現代、戦後の世界にいる、そんな認識しかなかった。戦争は過去に終わったもの、だった。ロシアがウクライナに侵攻するという戦争は起きていた。でも、それは外国で起こった事……対岸の火事……そんな認識だった。

『僕のいた世界では、2030年に世界中の国々を巻き込む巨大な戦争が勃発する。僕たちはそれをAI戦争と呼んでいた』

『AI戦争!?』

『ああ、AI戦争はその名の通り、AIによって引き起こされ、AIによって拡大した戦争だ。それは国家間の戦争であると同時に、あらゆる民間勢力が入り混じったイデオロギーの衝突だった……。 言語、宗教、文化、歴史、それら多様性を受容しきれなかった人類社会の爆発。何を残し、何を淘汰するか、誰を生かし、誰を殺すか。AIは人々の神となり、それに従う者と逆らう者をも分けた』

『……日本は、どうなりましたか?』

『君は日本人だったか。……あくまで僕の世界での話だが……日本は開戦一週間で、地図から消えたよ。2日で東京が陥落してからはあっという間だった。日本各地にある原子力発電所へのミサイル攻撃で殆ど無抵抗のまま、降伏すらできないまま侵攻されていた。AIも日本に味方しなかった。言語にも文化にも、特に救う価値を見出せなかったのだろう。僕はその考えには異を唱えるがね。AIはそこまで優秀には育っていなかった。若い神とは恐ろしいものだよ。もちろん、そこに至るまでの日本政府の選択と決断が引き起こした事であることも事実だ。君の力ではどうしようもない』

『どこにやられたんですか? 中国ですか?北朝鮮ですか?ロシアですか?』

 ボブは、なにか躊躇ったような顔で、首を横に振った。

『それを知ることに意味はない。どのみち、日本がそのような運命を辿ることは、我々から見れば明らかだった。2020年代前半時点でね。最も、多くの日本人達は意外な顔をしていたがね。私達から見れば、何も……不思議ではなかったよ』

『どこにやられたのか、教えてください』

『残念だが、僕の口から言えるのはここまでだ。君の世界の運命に、責任を持てないからね。ただ言えるのは、よく周りを見ておくことだ。見えているものと見ていないものをよく観察するんだ。固定概念や言葉だけを信じるな。俯瞰して全体の動きをよく見て考える。真意を見抜くにはそれしかない』

『……ありがとうございます』

『そう気を落とすな。君の世界と僕の世界が同じとは限らない。それより、異世界旅行者の君に、朗報がある』

『はい?』

『この世界では、君は、歳を取らない』

『えっ、そうなんですか!?』

『僕がこの世界に来て10年が経った。この世界の人間は10歳、歳を取った。しかし私は……』

 ボブは机の中から一枚の写真を取り出して、亘の前に置いた。その写真のボブは、今のボブと全く変わっていなかった。

『この写真は、僕がこの世界に、迷い込んだ年に撮ったものだ。分かるだろ? 僕は10年間、歳をとらなかった。どんなに若くても10年生きていれば、見た目も変わるものだ。特に30歳を越えた頃からは、5年ごとに老けるスピードが変わる。しかし、この写真に写る僕は58歳、今の僕は68歳だ』

『それでも記憶は10年分蓄積されているんですよね、脳だけが歳をとっているという事ですか?』

『僕にお金があれば、そういうことも調べられるかもしれない。しかし実際、僕の話を信じてくれる人はこの世界の人間には、いなかった。ただ一人、下の階にいる妻、アリスを除いて……』

『奥さん、だったんですね?』

『もとの世界にも妻はいるが、その人はこの世界に来た時は12歳だった。今だって22歳だ。他にボーイフレンドがいる。それに、この世界には、この世界の僕がいる』

 そうか。亘は、ふと計算した。この世界に亘の妻がいたとしたら、4歳だ。
(未来の夫がこんなデブの白髪の不細工だと知ったら、生きる希望を失いそうだなぁ)
 亘はこの世界の妻にだけは会わないようにしようと決めた。

『久しぶりの恋に燃えたのはいいが、妻はもう10歳、歳をとった。君もこの世界での出会いや恋に気をつけたまえ。自分だけが歳を取らないのは、とても切ないものだ』

『浦島太郎みたいですね。日本にはそういう昔話があるんです。海の底の都に向かった男が、地上に戻ってくると長い時間が経っていた、という話です』

『僕の推測では今、この瞬間、僕たちは元いた世界の時間は1秒も進んでいない。この世界で蓄積された記憶も、帰ってしまえば、おそらく残ることはないだろう』

『そうなんですか?』

『あくまで推測に過ぎないがね。時空論については、この世界に来てからいろいろ調べたよ。僕の経験談と併せて様々な仮説を立ててみたんだ。この推測も、その一つさ。あとは僕の論文を見てくれ』

『ありがとうございます。英語は苦手ですけど』

『苦手? では、たっぷり勉強しなさい。君は歳を取らないんだから。それに、何歳になっても避けて通れん事はある。僕たち異世界旅行者には、特にね。事実を言えば嘘つきだと批判され、嘘をつけば、それこそ本当に嘘つきだ。何をしても嘘つきと呼ばれる。過酷な話だよ。でも元気を出しなさい。異世界旅行者は僕と君だけではない。この世界には僕の知る限り、異世界旅行者が、あと7人はいる。その中で実際に出会ったのは3人だがね。この翻訳機も、その1人に貰ったものだ。バカと言われても真実を発信し続ければ、本当に必要な人たちは集まってくるものさ』

 ボブは重そうな腰を上げると、イヤホンを外し、ゆっくりと入り口扉付近までやってきた。

「Alice」

 亘が驚くほど大声を出したのは、アリスおばあさんの耳が遠いからかもしれない。階段の下を覗き込むように呼ぶと、それに応えてアリスおばあさんが階段を登ってくる。一段、一段しっかりと踏みしめるような音。
ボブが再びイヤホンをつけると、亘に向けて、
『アリスは占い師だ』と紹介した。

『ここは占いの館といったところだ。下にある石は全部パワーストーン。アリスは君のオーラや未来を見る事ができる。信じないかね? 僕もまるで信じていなかった。彼女に会うまでは。いや、今だって信じちゃいない。僕が信じるのは占いではなく、彼女だ。君も知ることになる、なぜ僕がここにいるのか。ここで何を探しているのか』

 亘は今年の正月に引いた《おみくじ》を思い出した。《大吉》だった。あの時ははしゃいだものだが、今に思えば……。現在、大凶を引くよりも酷い状況にいる。
(良い結果なら信じる、悪い結果なら信じない)

 アリスは亘の正面に立った。目線が身体の輪郭をなぞるように動く。途中、幾度か頷き、目をまんまるくして息を吐く場面が見られた。
 亘にとっても不思議な感じがした。
 ボブがアリスの言葉を翻訳してくれた。

『あなたは今、紫のオーラに包まれています。黒に近い、重たい紫色です。この紫色の中に、あなた本来の色を殺すものがたくさん含まれています。過去、嫉妬、傲慢、諦観、性欲、承認欲求、疲労、それらが複雑に絡み合い、本来のあなたを覆い隠しています。あなた本来の色はこんな暗い紫ではありません。あなたの奥底に、虹色が見えます。さらにその奥には黄金の輝きが見えます。今では随分と小さく遠ざかっていますが、虹色の中の金色、それがあなた本来の色です』

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?