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【小説】異世界に来てしまった中年男性の悲劇(10)

 夜も更けて、盛岡……でなく、奥北県は4月でも大分冷え込んできた。まだ桜も咲いていない。来週辺り咲いて、ゴールデンウィーク頃に満開となる。そういえば、ゴールデンウィークなる連休がこの世界にもあるのだろうか? 
 それよりも、奥羽越列県同盟共和国、という名前は長過ぎて非常に不便だ。他の人はなんて呼んでるんだろうか?
 亘は朝鮮民主主義人民共和国を思い出した。あの国の名も長く、日本では多くの人が『北朝鮮』と呼んでいた。北朝鮮の正式名称を言えない人もたくさんいるだろう。
 話は戻って、朝鮮民主主義人民共和国を北朝鮮と呼ぶなら、ここは『北日本』と呼ぶところだろうか? 3.11の震災を東日本大震災と呼ぶなら、『東日本』とも呼ばれていそうだ。
 この世界にも、あと20年後に地震が来るのだろうか。人的状況が変わっても自然はそのままのようだから、きっと地震も来るに違いない。あと4年後には神戸の阪神淡路大震災が来る。新型コロナウイルスパンデミックはどうなるんだろうか?
 少なくとも二つの大震災のことを知らせれば、被害を抑えられるかもしれない。震災を伝える事が、この世界に来た俺の使命か?誇大妄想かな? 
 オウム真理教の事件とか、どうなんだろう? 
 1991年以降2023年内で起こった事件や事故を食い止めることはできるんだろうか?
 そもそも、起こらないだろうか。まあ、ここまでヘンテコな国名が三つもある世界だから、まったく事情は変わっているかもしれない。
 考えてもみたら、今日は日本のことしか調べていない。世界地図なんて広げて見たら、もっと聞いたこともない国とかあるんだろうな……。

 そんな事を考えながら、第11師団が用意してくれた駅前のビジネスホテルの一室に辿り着いた。フロントから鍵を渡され、ひとまず部屋に入る。監視はついている。阿部さんから安倍さんに交代し、亘を見張り続けるという。
 安倍さんは阿部さんよりも無口だった。ただ、こちらを黙って睨みつける筋肉質の男。今度は30歳くらいに見えた。

 煙草臭い、窓を開けないとやっていられない。
寒気が部屋に入り込むが、臭いよりマシだ。
 シャワーを浴びてベッドで足を伸ばす。
 ああ、気持ちいい。生き返る気分だ。久しぶりのベッド。安倍さんが買ってくれたお茶とおにぎりで空腹を満たし、客室備え付けの歯ブラシで歯磨きをして目を閉じた。
 あれ、眠れない?
 なんだか急に家が恋しくなった。
「パパ、パパ」
 と、駆け寄ってくる二人の子ども。まだ6歳と3歳だ。長男の誕生日すら祝ってあげられていない。いつ帰れるのか分からない。もう帰れないかもしれない。
 スマートフォンは取り上げられてしまったし、充電器も無いから写真も見れない。
 ああ、ああ、家族の声が聞きたいよ。子ども達を抱きしめたいよ。愛弓(まゆみ)に会いたい。
 亘は泣いた。ベッドに水溜りができるくらい泣いた。声をあげて泣いた。獣のような声を上げて泣いた。泣いた、泣いた……。
 途中で心配した安倍さんがドアをノックした。
でも、今俺が話したいのは、安倍さんじゃない。例えここでどんなに好きな芸能人が現れたとしても嬉しくない。100人の美女がやってきても慰めにはならない。家族じゃなきゃ嫌だ。家族じゃなきゃダメなんだ。家族に会いたい。家族に……。

 翌日、奥北県庁に連れ出された亘は、第十一師団直属の機密部隊『ロック』への入隊を言い渡された。つまり、正式にスパイとなったわけだ。
 スパイ容疑の自分をスパイ部隊に入れる理由は?
 まずは戸籍を持っていないこと。ロックに入隊する人は皆、戸籍を剥奪される。もとから持っていない自分には好都合だ。そして、異国の情報に詳しいこと。亘の場合は異世界だが、あらゆる知見から物事を判断できる、とを期待されている。最後の理由は「タダ飯は喰わせない」だ。まあ、合理的であるし、戸籍も家も身分も職も金も無い自分にとっては、このまま放り出されるより生きていける確率が高いと思った。安心したと同時に自由を失った、とも思った。亘は異世界の出口を今も探している。

 この日は主に、亘の持っている情報を事細かく報告する、という任務だった。亘のもとにようやくスマートフォンが戻ってくる。しかし、充電器が無いので、電源を入れることもできない。
 中身を見せられたら一発でスパイの容疑は晴れると思うのだが……。亘は心の中で呟いた。
 それからずっと疑問だった奥羽越列県同盟共和国の呼称だが、この日ようやく分かった。
 この長過ぎる国の通称は『東大和』だそうだ。イメージの悪い『日本』という呼称を避けて付いた呼称だという。ちなみに希羅国は、そのまま希羅と呼んでいるらしい。これは中華圏の人たちが『ヤマト』という響きに嫌悪感を覚えているから、とのこと。
 歴史は日本皇国が独立する1946年までは殆ど同じに見受けられた。1946年は東大和でいうところの天元元年だ。日本皇国では長重元年ということか。
 昭和は20年で終わりを告げたことになる。
 この世界でも第二次世界大戦の悲劇は起こったのだ。昭和天皇が人間宣言したところまでは同じなのだから。
 しかしその後、日本国憲法、平和憲法が作られることはなかった。東大和も日本皇国も希羅も、戦争放棄の憲法は作らず、分裂する世界陣営の尖兵として軍事力を与えられ、強化されている。
 そんなことだから亘の世界の日本が平和憲法を掲げていると伝えた時の、周囲の反応は凄まじかった。
「やっぱりコイツはスパイだ!日本に洗脳され、間違った教育を受けてきたんだ!」
 なんて叫ばれた。
 日本に最も必要ない言葉は「平和」と「自由」だ、なんてことも言われた。
 この世界の日本はどれだけ危険な国なのか?
逆に興味が湧いてくる。

 東大和には奥北県(おうほく、※岩手県)の他に、大杜県(おおもり、※宮城県)、陸奥崎県(むつざき、※青森県)、花笠県(はながさ、※山形県)、若松県(わかまつ、※福島県)、鬼山県(おにやま、※秋田県)、龍越県(りゅうえつ、※新潟県)、海道県(かいどう、※北海道)があり、全八県から成る共和国だという。
 まあ、覚える必要はない、と亘は思った。どうせ元の世界に帰るのだから。

 その翌日、オーストラリアのボブ•ホワイトに会うため、監視役の阿部さんと安倍さんのアベアベコンビに連れられ、国際線となっている花巻空港へと向かった。
 異世界から来たと豪語する怪しげな人物、ボブ•ホワイト。亘も元の世界にいた時なら、まるで信じていなかっただろう。それが今では異世界から来た人間同士、この世界初の理解者となり得る可能性がある。人生は本当に不思議なものだ。

 朝8時10分、花巻空港国際線を飛び立った旅客機は、その8時間後に、オーストラリア•ゴールドコースト空港に着陸予定である。

続く

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